運転

私は大学に入ってすぐに運転免許を取った。

そして夏には車を買って毎日乗り回していた。

その後、アメリカから帰国するまでの間は

ほぼ毎日と言っていいくらいに車を運転していた。

 

帰国後に運転しなくなったのは車を買わなかったからだ。

その理由は日本での運転が怖かったからだが、

ハンドルの左右の違いとかではないし、

日本の交通マナーのひどさが問題でもない。

単純に交差点での右折の時に逆側の車線に入ってしまいそうになるからだ。

タクシーに乗っていても「はっ」とすることが今でもある。

特に大きな交差点だと、左右の斜線が中央分離帯で仕切られている。

右折時にその対向車線側に入ってしまいそうになるのだ。

対向車がいる時は構わない。

対向車がこちらを向いて止まっている斜線に突っ込むことは無いからだ。

ただ、夜間とか対向車がいない時に無意識に対向車線に入ったら

重大な事故を引き起こす可能性がある。

自分だけでなく他人までも巻き込むことになるから運転をやめた。

 

ところで、私は若い頃はかなり乱暴な運転をしていた。

山の中を飛ばしたり割と無茶なことをしていた時期もある。

前に車がいたら抜かなければ気が済まなかった。

ただ、ある時からものすごく安全運転になった。

前の車との車間距離をものすごく空けて走るようになった。

前の車が何らかの理由でいきなり止まっても回避できるようにである。

だから、後続車との車間距離も気になる。

ぴったりと着いてくる車には道を譲る。

どうぞお先にって気持ちだ。

目の前にいきなり何かが飛び出してきたり何から落ちてきたりした時に、

後続車が車間を空けずについていたら急制動をかけられない。

後から追突される恐れがあるからだ。

もちろん法的には追突した車が悪いのだろうが、

それでも怪我でもしたらつまらない。

同様に運転中の視線の半分はあらゆるミラーに向けていた。

サイドミラーの死角をなくすように角度を調整し、

ルームミラーやサイドミラーなどを常時確認して

自分の周囲の車の位置関係をいつも頭に入れて運転をしていた。

あるとき、片側二車線の左側を走っていた時、

何の表示もなくいきなり目の前に工事中を表すコーンが現れた。

自分の視界には他に車はいなかったからそのまま右斜線に入ればいいのだが、

実は私の右後方、パトカーや白バイが追跡する位置(運転手から最も見えない場所)に

一台の車がいることを私は知っていたので、車線変更をしなかった。

そのまままっすぐは知りながら急制動をかけ、

コーンを2〜3個蹴飛ばしながら右斜め後方の車が通過するのを待って右レーンに入った。

ちょっと変な自慢に聞こえるかもしれないが、

実際におそらく普通の運転手だったらいきなり車線変更して事故を起こしていただろうと思っている。

自分の車が周囲の車などとの関係性においてどのような位置を占めているのかを

常時判断していることで事なきを得たと思っている。

だから私は、他の車の死角には絶対に入らない。

見えないものは無いものなので、突然前方を塞がれる可能性もある。

 

なぜこのようなことを書いたかといえば、

先週の某新聞にサッカーの遠藤選手の記事が載っていたからである。

「自分の前にいる選手の動きは全部分かっていますから」と彼は言う。

周囲の中での自分の位置関係の把握によって、

周囲の人が動きうる可能性や自分がどこに動くことでパスをもらいパスを出せるのかが、

瞬時に、そして的確に判断できるのだということが、

私に運転中の記憶を呼び出させたのである。

 

以前、サッカーにしても技術の練習だけではなく

関係性(私は「かたち論的」というが)を的確に判断する眼を植え付けることが重要であると

どこかで書いたと思うが、

まさにそのことを遠藤選手は自然にやってのけているということだろう。

これを才能という言葉で片付けるのではなく、

どのような教育でこのような能力が身につけられるのかを

コーチングの技術として研究していけば

サッカーのみならず他の競技でもひとつ次元の高いレベルに達するのではないだろうか?