首相、もうやめましょうよ。

実はこの問題にはもうほとんど興味はない。

飽きたし呆れたというのが実感だ。

多くの国民もそうだろう。

首相は、国民がこう感じることを先読みしての行動だったのだろうとも思う。

国民が飽きてくれれば自分に対する非難も収まるみたいな感覚なのかな?

で、この問題とは別に私が不思議に思うこと、

でも、それについての議論を聞いたことのない問題がある。

 

その前に現在の首相が適任かどうか?

では誰ならいいのか?という議論が別にあるのは分かっているつもりだ。

だが、私が疑問に感じていることはそんなに難しいことではない。

 

不信任案の可否を前に開かれた民主党の代議士会で首相が述べた言葉についても

「言った言わない」「そういう意味ではない」など屁理屈をかざすのも面倒くさいからどうでもいい。

たしかに首相は「辞める」とはひとこともいっていないのだろう。

すべてのテレビが「首相辞任」と速報を流すくらいに

誰が聞いても「辞任」だと聞こえる日本語を口にしても

「辞めるとはひとことも言っていない」といわれればそれでも構わない。

ただ、代議士会で首相のすぐあとに前首相がマイクを握って密約の経緯を口にした。

そこで前首相は「辞めると約束した」と(言葉は正確ではないかもしれないが)述べた。

その場に首相もいたはずである。

もし、密約の場で己が意図したことと異なる話を前首相がしたのなら、

その場で訂正しなければならない。

訂正しないで聞いていたらそれは肯定である。

これは「言った」「言わない」の議論ではない。

だから、信用できないといわれるのだ。

政治家としての手腕は(とてもありそうにはないが)ここではどうでも良い。

その前に人として信頼できるかどうかに問題があるということだ。

言葉遊びをして、「辞めるとは言っていない」とか

「一定の目処がついたら」などと、なんとでも言い訳できる言葉で騙すのは、

騙される方も悪いと思うからきつねやたぬきが大勢いるところで今さら問題視しても仕方がない。

「目処がついたら辞める」という言葉で「目処がつかなければ辞めない」というのも

己の人格や品位を貶めているだけなのだから今さら問うつもりもない。

でも、前首相の言ったことを肯定した(否定していない)にもかかわらず

「そんなことを言っていない」はダメだ。

これを認めたらおそらく日本語という言語が成立しない。

裁判の場であってもこれが認められるとは思えない。

否定できる場で否定しないということは肯定したと普通なら思う。

これを恥ずかしいとも思わずにいられる人間に我々の生命や財産を任せる気には

私には絶対になれない。

過去に刑事被告人になり、さらには後に有罪判決を受けた首相もいたが、

人としての徳があったと思う。

だからこそ、あれだけの支持を得たのだろうし、

それが地元への利益誘導だけの結果とは思えない。

人間的に信用できない人を支えるなんてできるはずがない。

その意味で、現首相がいかに安っぽい言葉を並べて自己弁護をしようが一切認められない。

犯罪ギリギリのことをしながら法律論を並べて「法に反してない」と平気で言うやつらと

何が違うのか説明できるものならして頂きたいところだ。

 

国難の時期に内紛をしている場合かという意見がある。

その言葉自体はその通りだ。

だが、この首相の進退問題は「内紛」という簡単な問題ではない。

一定の目処がついたら辞めるという言葉を不誠実に用いれば、

いつまでも辞めずに済むのはもう現在の首相の言動で分かる。

まずは原発に関しての一定の目処って何?ってことで、

チェルノブイリを見ても分かるように、

何十年経ったって目処はついていないということはいくらでも言える。

で、現在の首相のなにを問題だと感じているのかといえば、

卑劣で不誠実、もっと言えば詐欺的とも感じられる言葉の使い方である。

へらへらと逃げ、外国から強く出られたらいくらでも引く。

対外交渉で、今のような屁理屈は通らない。

だから、間違いなく国益を損なう。

その場の保身の為に領土を見捨てることをしてもまったく不思議ではないとすら思う。

本当に、いまやっているような安い理屈で我々の国家を他国に売られる可能性すらあるのだ。

 

今の国会議員の誰に命を託せるかといえば難しいだろうが、

現首相にだけは我が命を託したいとは絶対に思わない。

人間の本質は変わらない。

政治家としての資質以前のもっと根源的な問題なのだ。