責任
法律の論理はよくわからないのだが、
報道で、一般常識と乖離したような「屁理屈」を感じることがある。
例えば飲酒ひき逃げをして酒が冷めてから出頭してきたら
「その時にどの程度飲んでいたか判断できないから」として
飲酒については罪を問われないとか、
一般常識として「どう考えても危険運転だろう」と思える事故も
危険運転の立証が困難であるとか、
なんだか理屈が分からないことがある。
ひき逃げをしたら飲酒をしていようがいまいが
どの罪よりも重く刑罰を科せる法律を制定すべきだと思う。
人を轢いて逃げるという行為に対し厳罰で臨むのは当然だろうと思う。
どうして逃げ道ができるのか私にはまったく分からないのだ。
佐々淳行氏は浅間山荘事件の陣頭指揮を執っていた時をこのように語っている。
同僚が何人も殺されその場にいた警察官が怒りに燃えていたとき突撃の命令が下りたそうだ。
もちろん、警察官は復讐の心を燃え上がらせている。
その時に佐々氏は「決して復讐を思ってはいけない」
「法が、国家が必ず奴らを裁いてくれる」と全員に諭したらしい。
だから、法律に照らして彼らの罪があまりに軽いことを佐々氏は後に怒っていた。
被害者の立場から考えれば法律というのは、報復権を奪うものだといってもいいようにすら思う。
ハムラビ法典ではないが、されたことと同等の罰を受けるというのが刑罰の基本にあるはずだろうし、
法律論はともかくとして被害者側の心理はそうであるのは疑えない。
それを、被害者に変わって国が加害者を裁くのである。
これは法律という体系によって国家を規定する以上は仕方がない制度なのだろうと思う。
しかし、法律学者が机上の空論で理屈をこねくり回してはならないと思う。
被害者意識と一般論にするのは危険だろうが、
でも、普通に考えて納得できない判決をまことしやかに解説する法律家をみると、
理屈の為の理屈をもてあそんでいるだけのように思えることがある。
この書き方だと司法の問題のようにも思われるかもしれないが、
それは立法府にも大きな問題があると思わざるを得ないのである。
酒を飲んで運転をし罪のない人を犠牲にしたら危険運転である。
しかもそのまま逃走を図ったり隠蔽を図ったらさらに悪質であろう。
それに逃げ道を与える理由が分からない。