昔から「涙は女の武器」と言われます。

この言葉の真偽はさておき、

この連休中に涙について思うことがありました。

 

損傷を受けた原発に対して東京都消防局の方々が高い放射能の中を

文字通り「懸命に」放水作業を行なってくれたことの報告会見で、

統括隊長が涙をこらえながら話をしたところが放映されていました。

また、消防学校において東京都知事が消防局の隊員を前に

涙で言葉を詰まらせながら「ありがとう」と言い深々と頭を下げた光景も

テレビ映像で何度も流されていました。

軽々にものを言うことはできないとは思いますが、

隊員たちは彼らの言動によって報われたのではないでしょうか?

こういう人たちの下で働くからこそ命をかけようと思うのでしょう。

 

それに引き換え、某閣僚のひとりが東京都の消防隊員に対して

「(やらないと)処分する」と恫喝したとも伝えられています。

最前線に立っている人ならその言葉は言ってもいいかも知れません。

ただ、最前線に出て行くような人はそんな言葉は絶対に言わないでしょう。

少なくとも自分は安全な場所にいる。

そんな人間が、今から命をかけて戦いにいく人間に対して

普通の感覚をもっている人ならこんな言葉は何度生まれ変わっても言えるものではない。

 

人の器というのは隠し通すことはできないし、それだけに残酷なものだと感じます。

いや、器という言葉を使うと問題がぼやける、

これは単に人を愛することができるかどうかという

人間そのものの資質の問題なのだろうと思います。

愛する人が命をかけに向かう時に、

愛する人が命をかけて戦い戻ってきた時に、

その人に対して何を思うのかってことです。