名人伝
「2年前に負けたとき、しばらく竜王戦は出られないなと思いました。
チャンスとはそういう(なかなか訪れない)ものだからです」と羽生善治が昨年述べたそうだ。
この「2年前」とは、羽生善治が3連勝した後に4連敗したときであり、
最後の永世位として竜王位に挑んでいた時の話である。
さて、この括弧内の言葉はこの話を聞いた記者あるいは編集者の補足であるが、
これで正しいのだろうか?
もちろん正否はご本人に問わなければ分からないのだが、
私にはこれが正しいとは到底思えないのである。
3連勝したあとに4連敗するという事実に対し、
こういう負け方をすればしばらくチャンスは巡ってこない、
これでチャンスを遠ざけてしまったという話であって、
いわゆる統計学的な数字よりもさらにチャンスは遠ざかったと私は理解した。
単に「なかなか訪れない」とまとめられるような薄っぺらな言葉ではないと私は思う。
話はがらっと変わって、
往年の歌手が晩年に近い時に持ち歌を歌うとなかなか見事に音程もリズムも外しまくる。
これは老化によるものだろうか?
私は違うと見ている。
もはやあるレベルを超えて、言ってみれば神の域に達しているとすら言えるような、
中島敦の「名人伝」にもあるような聖域に達したからこその歌い方であると見る。
もうこの域に達すると素人目には逆にへたくそにすら映るようなものとなるのだろう。
羽生善治は、そもそも指す時の気持ちが変わってきていると本人は言う。
そして、一番強かった7冠の時の自分と比べても負けるとは思わないという。
おそらく哲学(という言葉で表すよりももっと高い位置にある何か)的に
なにか別の次元に到達したのではないかとすら私には思える。
スポーツで、筋力的にあるいは反射能力が落ちてきたからというのとはまた違う、
凡人とは全く違う世界に生きている話だろうと思う。
われわれ凡人には理解すらできないという次元ではなく、
我々凡人から見たら理解不能なために
凡人以下にすら見える域に達してしまったのではないだろうか?
中島敦の書きたかった世界がまさにここにあるという感じに思えて仕方ない。
こんな例はあらゆる分野でみられると感じる。
一度、その世界をかいま見たいものだが、
その域に達するまでは無理な事なのだろうな。