目的論
偶然か必然かは生物学の永遠のテーマかもしれない。
生物学の話をする時にはよく目的論的な説明がされる。
「○○だったから」「××する為に」このように機能するって感じである。
しかし、進化を論じる時にこの説明をすると間違いだと言われる。
この辺りに教える側にも混乱が見られると思う。
たとえば、瞳孔は暗いところで開き明るければ閉じる。
これは、合目的的に語る方がそれっぽいとは思うのだが、
でも、明るいところでも瞳孔が開きっぱなしだったら目を痛めるだろうし、
そんな生物は進化の過程で淘汰されているだろう。
あくまでも、その目的の為にその働きを獲得したのではなく、
その機能を獲得したから生存してきたと考えるのが正しいだろう。
たしかに生物の仕組みは非常に素晴らしいと思う。
本当によくできた機械のようにすら思う。
しかし、そこに合目的的な意味があるのだろうか?
私には「ない!」としか思えない。
生物が持つすべての意味はすべからく「たまたま」なのである。
そして、有利な変異に選択が働くというよりは、
不利な変異に淘汰圧がかかると考える方が理に適っているように思う。
ただし、これは考え方(あるいは立ち位置)の違いによるだけなのかもしれない。
まあ、なんにしても生きものはそれが存在する自体が偶然の産物である。
そう考えなければ整合性がつかない。
そして、そこに生存すること自体が「必然」なのである。
必然を議論する事と目的論を語る事は似て非なる事なのである
(https://hashimochi.com/archives/67)。
なんて書くと訳が分からなくなるんだろうなあ・・・。