見る

ある映画で登場人物が

you’ve looked but you cannot see!

と言っているのを覚えています。

出演者も映画の題名も忘れているのですが

この台詞がとても印象に残っているのです。

宮本武蔵も五輪書に似たような事を書いていたように思います。

すなわち「観の眼」と「見の眼」の違いなのでしょう。

観の眼とはすなわち心の眼だといわれています。

だから観察とは、ただ見るだけではなく心の眼で見る事でしょう。

 

般若という言葉は智慧を意味するのですが、

智慧と言ってしまうと般若の本来の意味が消え失せますので

仕方なくこの言葉を使って表しているようです。

(ただ、近年では般若という言葉も鬼のような形相を示すようにしか

用いられないのかも知れません。)

般若の智慧と区別する為に我々凡人の智慧を「識」という場合もあるそうですが、

そう考えると「有識者」なんて言われるのも考えものかも知れません。

般若の智慧とはものの真理を体得した者の智慧とも言われます。

 

こう見てみると、ものの真理を追い求める為には

心の眼を磨き、般若の智慧を追い求める事しかないのだと気付きます。

「哲学を学ぶのではなく、哲学する事を学ぶのだ」と

過去の偉人(たしかカントだったような気が・・・)が言っていますが、

何か相通じる事があるようにも思えます。