遺伝子ネットワーク

先日、宮田先生と話をしていた時に遺伝子の平行移動の話題になりました。

他の生きものの中で獲得された遺伝子が、ウイルスや、別に何でも良いんですが、

そのような媒体によって運ばれてくるような話です。

この手の議論は、一般には単一遺伝子の獲得についてなされていると思うのですが、

その遺伝子が働くネットワーク全体が移動する可能性について

宮田先生は話されていました。

 

これについては私は15年くらい前に考えていた事があります。

ある構造をつくるのに必要な遺伝子ネットワーク(複数の遺伝子が織りなすかたち)が

そっくりそのまま異なる生物に導入された時に、

新しい生物でもその構造をつくりうるのではないかということです。

極端にいえば、花のかたちを形成する遺伝子のネットワークが

昆虫に導入された時に「花カマキリ」のようなかたちを作るということで、

まあ観念的な説明なのでこの例が適切だとは到底思いませんが、

このネットワークが限りなく大きくなった場合を考えると

ゲノムを導入する事にも理論上は等しいと考えてもいいかもしれません。

そうすれば、元々のゲノムを乗っ取って新しい種を構成するかも知れません。

 

遺伝子単体では意味を持たないけれど、

ネットワークとして意味付けされたものが導入された場合には

その「意味」を移植されるわけですから

導入された「変異」には直接的な意味がすでに存在するのかも知れません。

むしろ単一遺伝子の導入や単一遺伝子の変異を考えるよりも

その遺伝子が関係するネットワークの変異を考えるべきなのかもしれません。

 

ここまでの議論では、ネットワークという複数の遺伝子を巻き込んだかたちを

ウイルスなどによって導入するということを考えていますが、

実際にネットワークの構成遺伝子をすべて一気に導入するというのは

もちろん全否定はできないまでも、すこし考えにくい。

そこで、ちょっと見方を変えたら面白い事が見えてくるかも知れません。

 

個体発生の過程で、背腹を決める時期があります。

その際には背側が積極的に誘導されると考えられていますが、

その背側を決める時、たったひとつの転写因子の働きが重要であることが知られています。

この転写因子が背側のみで働くことによって下流の遺伝子の発現が雪崩をうったように始まり

結果として背側構造を作らせるわけですが、

ここで重要な事は、その転写因子が働かない腹側の細胞にも

その背側を作る遺伝子のネットワーク自体は潜在するわけです。

で、これを系統発生の文脈に導入すると、

例えば、結果としてたったひとつの転写因子を持たない為に

そのネットワークは眠っている(機能を持たない)わけですが、

ある分子(の機能)を獲得するだけで、

そのネットワーク自体が獲得されるという事もあり得る事となります。

もちろん、ネットワークを構成する遺伝子それぞれは

別の文脈において意味を持っていなければなりません。

でなければ、中立的な変異を受け続けて偽遺伝子になる可能性が高いからです。

逆に、同じ遺伝子が発生の様々な文脈で使い回されている事の意味は、

その遺伝子に変異が入る危険性を減らせる事ともいえるでしょう。

細胞の代謝系はほぼすべての細胞で共通だと考えられています。

例えばクエン酸回路自体は、電子伝達系に電子を渡す事さえできれば

構成する酵素や化学物質は別のものと代わっても問題ないでしょうし、

クエン酸回路だけを考えればそれは簡単に起こりうる事なのではないかと思いますが、

クエン酸回路に関わるあらゆる分子は、その他の代謝経路にも関与して、

様々な分子とがんじがらめのしがらみの中におかれているわけですから、

おいそれと変異など受け入れられる状況ではありません。

言い方を変えれば、複雑に入り組んだ代謝経路を

「クエン酸回路」という切り口で切り取ったから

環状のつながりが見えて来ただけの事であって、

その構成要素を別の切り口で切り取れば

全く違う代謝経路が見えてくるだけの事です。

 

このように、ゲノム中にある意味をもつネットワークを眠らせておき、

ある瞬間に、ネットワーク自体を活性化させる事が可能になるのではないかと思うのです。

 

だから、論理の方向はまったく違いますが、

縦襟鞭毛虫がすでに受容体型チロシンキナーゼを持っていたという事実は、

チロシンキナーゼを持っていたという事において重要なのではなく、

チロシンキナーゼが構築する下流のネットワークを流用できた事が

その後の多細胞生物の形成において重要な意味をもっていたのでしょう。