遺伝子の関係性

ゲノムとは遺伝子同士の関係性であると考えている。

遺伝子自体には何の意味もなく、

関係性という見えないモノのネットワークこそが

ゲノムの本態であるという考え方で、

だから、色即是空・空即是色とゲノムを私は表現している。

 

さて、この「関係性」と言って済ませればそれで楽なのだが、

では関係性とは何かというところが問題である。

その前に「遺伝子」を定義しなければならないのだが

機能未知の働きを現時点では定義などできないので

ここでは一応、タンパク質の情報をもつ部分と考えておこう。

 

例えば脊椎動物を考えた場合に、

ゲノムのかたちがそれほど極端に変化しているとは思えない。

魚とヒトを見て、まあよく似ていると思う。

だからこそ形態学の「相同」の概念が生まれたのだろう。

魚・カエル・蛇にトリ、そしてヒトを作り上げる方法として、

ゲノムはそのままのかたちを多少変化させる事でモノがいえそうだ。

たとえば、同じ遺伝子が同じ時期・同じ場所に発現するとしても

その発現時期が少し長くなる事でその部分の形態が変わっても不思議ではない。

なんと言っても比較形態学的に相同であると認められる構造をつくるのだから

そこに働く遺伝子が同じであっても何もおかしくないだろう。

細胞増殖を進める遺伝子が長く働けばその部分は大きくなる事は容易に考えられる。

もっと詳細な比較検討が絶対的に必要であるのはそのとおりなのだが、

何となく、遺伝子の発現場所と期間を少し変化させるだけで

脊椎動物間の変化なら議論はできそうに思う。

だからこそ、遺伝子を発現させる情報としてのプロモーターを

統計的に処理する方法論を考える研究者がいるのは理解はできる。

 

では、動物門を超える変化をゲノムの視点からどのように考えたら良いのか?

これが全く分からない。

たしかに、どこかの部分を取り上げてみれば

脊椎動物と昆虫の何かが似ている事は現象としてはある。

しかし、そのレベルの見方をするのなら

脊椎動物間でも全く異なるように見える事はいくらでもある。

要は、各論的な相似を相同と認識し議論する事の問題点ではないだろうか。

ゲノムを考えるとき、このレベルで思考が停止してしまう。

大進化と小進化を区別せずに同じ土俵で議論をしている事への生理的な違和感が

最近のゲノムの議論の中に見え隠れしていると思うのは気のせいだろうか?

あるいは、私だけがこんな事を考えているのだろうか?

よくわからないなあ。

 

また、ゆっくり考えてからこの議論を続けます。

カレンダー裏に曼荼羅を描くかな??

余談ですが、私は一人で思考する時にも大きな紙にいろいろと書きます。

でき上がった「曼荼羅」を見たある友人が

「ひとりブレーンストーミング」みたいで面白いといってくれました。

私には、思考に描かせない方法論です。