民主主義って

民主党の体制が一新した。

小沢氏の党運営、あるいは一政治家としての行動に対する批判から

あらたな流れができたのだろう。

内閣への支持率も大幅回復のようである。

これを表紙の付け替えだと評する向きもあるようだが私はそうは思わない。

そもそも昨年の選挙で民主党に投票した人たちは

自民党の旧態依然として老人体質に嫌気がさして

民主党の岡田さん・前原さん・枝野さんのような若手に

とにかくこれまでの政治を根本から変えて欲しいと願ったからではないのだろうか?

ということは、民主党政権に鳩山さんや小沢さんを望んでいたのではないとはならないか。

今回、庶民派の菅さんが枝野さんたちと何かをやろうとしている事に、

昨年に期待して来た事を思い出させてくれたからこそ

支持率や期待度も上がったのではないかと私には思える。

 

こんな事をぼーっと考えていて思う事がある。

極論だが、私は「民主主義」をよいとは思っていない。

政治に限らず、家族やグループなどの運営に当たっても

民主主義が優れているとは全く思えないのである。

「民主主義」とは消極的選択でしかないと私は思う。

変な指導者による独裁よりはマシだという事に過ぎない。

優れたリーダーがその国を・団体を・グループを動かすのが

最も優れた体制だと真面目に思っている。

しかし、優れたリーダーなどそうそういる訳ではない。

権力が集中するとどうしても悪い考えを起こす人がいる。

それを防止する為には「民主的に」「透明性を持って」統治するのがよい。

 

「透明性」と叫ぶ事を「正義」だと思っている人もいるようだが、

そして、「透明性」自体を否定する気は私にも全くないのだが、

でも、何もかも透明でできる事ってあるとは思わない。

民主主義と言って何もかも多数決で決めて正しいとも思わない。

変な事をしないように監視する事はある程度は重要であろうが、

ある程度は自由度を持ってリーダーに行動してもらうのが

一番大切であると私は思う。

 

民主主義に対すると同じような感覚を「体罰」にも感じる。

多くの人が言っているが「体罰」なくしてまともな子供は育たないと思う。

ただ、やはり体罰容認という錦の御旗を教師に親に渡してしまうと、

制限を超えてその「権利」を行使する人が少なからず出てくる。

それを考慮したら、やはり体罰は是認できないとしか言えない。

これを消極的選択と考えるのは穿ちすぎだろうか?

橋下大阪府知事も過去に言っておられたが、

少なくとも小学校入学までの子供には

悪い事は悪いと「理屈抜き」に叩き込まなくてはならないと思う。

言葉で躾けるなんて無理だろうとすら思う。

いつも叩くのを奨励するのではないが、

悪い事を悪いと認識させるのは理屈ではない。

「自分がされたらイヤでしょう」なんて馬鹿な事をいうから、

「俺はされても平気やモン」みたいな返答に答えられなくなる。

自分がされてイヤであろうがなかろうが

やっていけない事はいけないということを徹底的に教えなければならない。

たぶん、いまの親の世代(間違いなく私の世代)が

戦後の反省を抱えた教師たちによって

民主主義の理想論を教え込まされてきた経緯が強いのではないかと勝手に思う。

その理想論を自分にとって都合の良い所だけを抜き出してしまった。

その成れの果てがモンスター××なのじゃないのかな。

自分の言っている理屈を皆が言い出した時に社会が崩壊するのは

おそらく誰よりも分かっているはずの屁理屈をいう理由は一つしかない。

全員が給食費を払わないと休職制度が崩壊するのは目に見えているはずである。

給食は食べさせてもらいたいがお金は払わない。

ということは、結局、自分さえ得をすれば良いという訳で、

そのための理論武装を徹底的にしているに過ぎないと感じる。

 

日本文化の「和をもって尊しとなす」が究極の民主主義なのだと思うが、

それには聖徳太子のようなリーダーが必要なのだろう。

世界に誇るこの日本の分化は、

自己の権利の主張という似非民主主義に駆逐されてしまった。

そう考えながら昨今の政治状況を見ている。

 

理想的なリーダーに独裁的にでも突っ走って政治をしてもらえれば

人格に優れ尊敬に値する教師に厳しく子供を育ててもらえれば

それが一番素晴らしい制度だと思う。

 

なお、多くの方がこの文章を不愉快に感じると思うが

これが正しいと主張つもりもなければ誰かを洗脳するつもりもない。

あくまでも個人的なひん曲がった考えである。

反感を持たれた方にはご容赦をいただきたい。