言葉の選択?
たとえば「やんごとなき」という言葉を「のっぴきならない」と同義に使う人がいます。
そして、その人に対して「やんごとなき」は「高貴であるという意味だ」と指摘する人がいます。
すると、また別の人が「やんごとなきには、のっぴきならないという意味もあるし
それは辞書にも載っている!」と指摘します。
目上の人に「ご苦労様でした」と言うと
「ご苦労様は目下の人に使う言葉で、目上の人にはお疲れさまと言うべきだ」と指摘されます。
すると、「目上の人にもご苦労様という事はできる」という人が現れることがあります。
こういう場合に皆様はどう対応されるのでしょう?
私なら、どちらの意味を知っていたとしても
「やんごとなき」は「高貴な」という意味にしか使わないし
「ご苦労様」は目上の方には使わないでしょう。
なぜなら、そちらの表現を使う限り誰からも攻め(責め)られないからです。
少なからずの人が「まちがっている」と感じる言葉をあえて使用したときに、
いくら「辞書に載っている」と主張しても空気は悪くなるだろうし、
さらにいえば、それを間違いだと信じている人でも、
指摘してくれれば言い訳、例えば「辞書に出てる云々」、は言えますが、
何も指摘されずに「こいつは馬鹿だ」と決めつけられる事もあると感じるからです。
また「馬鹿だ」で済めばそれはそれで仕方ありませんが、
「無礼」だと思われたままは対人関係を考えた上でもやはりマズい。
こういうのも、言葉の意味が固定されて(変わって)いく
ひとつのきっかけになったりするのでしょうか?
それにしても知らずに使って恥をかく言葉がいかに多いか、
そしてそれを指摘して頂いたときのなんと有り難かった事か。
「小生」をへりくだる言葉だと信じて手紙に乱用していた若い頃、
先生から「小生は年長者が用いる言葉である」と指摘され
それ以来、一切使わなくなりました。
この指摘がなかったらいまでも私の手紙には「小生」が乱用されていた事でしょうし、
そう考えただけで恐ろしいです。
ただし方言とか、それに近い状況はこの議論はできません。
辞書に載っていない意味を使う方言は数限りなくあるし、
特殊な言葉なら問題ありませんが、
共通語を同じ発音でありながら全く違う意味として使われる言葉も
非常にたくさん存在するのですからね。