議論の仕方
正しい議論は論理的思考にとって強力な武器である事は論をまたないが
間違った議論はむしろ論理的思考を停止させると思う。
では、何が正しくて何が間違っているのか?
実はこれがよくわからない。
こうしたら良いと言う具体的な方法を思いつかない。
ただ、上手な議論を行なう人から議論の進め方を見習う事はできる。
上手な議論は、まず相手の言う事を無批判に受け入れる事から始まる。
自分の意見も丁寧に相手に了解してもらう事に力を裂く。
これだけ言うと何となく簡単そうであるが、
それが実は難しいのである。
相手の意見に反駁しない事が賢い議論にとって最も重要な事だろうが、
たとえばこういうタイプの人がいる。
自分が意見をいう。
相手がその意見とは違う意見を述べる。
すると、この「違い」に固執して自分の言い分を「説明」する。
その説明で相手が「理解」しないと、さらに自説を「説明」する。
この手の人は、自分の意見を相手に分かってもらう為に説明しているのであって
決して反駁しているのではないと本心から思っている。
しかし、自分の言い分を相手が完全に納得するまで述べ続けたら
これはもはや議論ではないのは明白なはずだが、
本人は「自分は正しい方法で議論をしている」と思っているのだ。
で、この手の議論の何が問題かと言うと、
相手が納得するまで自説を主張しているのだから、
議論の終着点はその人の自説ということになり
議論によって新しいものが生まれないという事にある。
さらには、自分では意識していなくても、その人の潜在意識の中には
自分の説が絶対的に正しいという信念は間違いなくあるだろう。
誰かが何か新しい事を話しても、
その説が自分の考えに合わなければ自説の説明をする。
これを繰り返す事では何も生まれないという事である。
ある人が何か新しい事を言う。
その主張には各論的に見ればいくつもの問題はあるだろう。
しかし、その問題点ばかりを指摘しても何も生まれないと感じる。
逆に、たとえば何か弱点がその説にあるとしても、
では、その弱点を克服する為にはどう考えたらいいのだろう?という方向に
その場の議論が動けば何か新しい思索が始まるだろう。
人間一人の考える事なんてたかが知れていると思う。
だからこそ、一人では思いつかない発想や
一人では決まった方向に進みがちな議論を
複数の人と考えるというのが最も得るもののある上手な議論だろうと思う。
「橋本、お前は偉そうなことを言って、それができているのか!!」という苦情は
申し訳ございませんが受け付けられません。