かたちとは何か?その1

私の語る「かたち」についてはどうしても難しく捉えられていると思う。

私の説明が悪いのはもちろんのことだが、

それ以外にも、思索や思考を言語で伝えることの困難さがあげられる。

私も構造論について長い間全く理解できなかった。

「構造論のかたち」が頭の中に構築された時に初めて構造論が分かったと思えたのだが、

でも、それを「日本語のかたち」に置き換えることが全くできていない。

もどかしいのだが、様々な思想・哲学の大系を理解することが難しいことの本質は

この辺りにあるような気がする。

分かっている人には単純明快なのだが、分からない人には分からない。

日本語の体系を意識して日本語を話す日本人は皆無であろうし、

英語の体系を意識しながら英語を話すアメリカ人も皆無であろうが、

それはその言語の体系(かたち)が既に頭の中に出来上がっているからであって、

その体系を持たない人がその言語を操るとなると一筋縄ではいかないということなのだと思う。

 

高校の時に担任の先生がよく例にあげておられたことがある。

ドブにゴミが流れて来てある場所で何かに引っかかって止まる。

その後ろから来たゴミもその場所で止まるということを繰り返すと

その場所にはゴミでできたダムのような塊ができあがる。

そのうちに、一筋の流れが「ダム」の中に通り始めると

一気にダムは崩壊し水の流れはスムーズになるという話で、

彼は、勉強というのも少々がんばってもダメで、

毎日努力を積み重ねても見かけ上は何の進展も見られない時期があるのだが

努力を怠らずに精進すれば、ある瞬間に一気にステップアップするという教訓を説いてくれたのだと思う。

 

これをかたち論的に考えれば、何かの理解というものはそれ単体では非常に危ういものであり、

その他の事象との比較(関係性の構築)によってのみ意味を持つものであるということだろう。

だから、歴史の時代を「奈良、平安、鎌倉、室町…」と

単なる言葉の羅列で見ると要点が覚えられないけれど、

勉強を重ねてその周辺の知識がさらに増えれば、

◎平安時代に貴族が自分の土地を守らせるために農民に武器を持たせた。

◎それが予想外に力を持つようになり武家が牛耳る鎌倉時代になった

となり、スムーズに覚えられるし絶対に忘れない。

また、このような関係性が一度構築されたら、

その後に入ってくるこの周辺の知識は既存の関係性の中に埋め込まれて

新たな関係性をすぐに構築できるのだから忘れることはない。

まずは大ざっぱな地図を作ることから始めなければ意味付けができないのである。

だから、この地図(関係性)を最初に構築できるまでが非常に苦しく

いくら勉強をしても全く身に付かないが、

何らかのかたちで土台となる関係性が出来上がったら

あとは勉強した分だけどんどん伸びるということになるのだろう。

だから、歴史の人物関係にしても、教科書の丸覚えはまったく非効率的であり、

それよりはむしろ司馬遼太郎の歴史物語を読んで

人間関係と歴史的事象のつながりを覚える方がはるかに早いとなるのだろうし、

足利尊氏と楠木正成の関係を教科書のような薄い内容で覚えるよりは、

日曜日にでもゆっくりと太平記を楽しむ方がよほど理解は進むし忘れないのであろう。

おそらく、一般に頭が良いとされる人たちは自然にこの関係性を身につけることに長けているのだろう。

何にしても単語帳や単語カードでの暗記が効率が悪く効果の薄いことはないという理由は、

たとえば「室町時代」という言葉自体には意味がなく、

それがその他の時代との関係や、その時代のさまざまな出来事との比較によってのみ

意味を持つといった事実からも簡単に分かる。

意味とはア・プリオリに成立するものではなく

その他の物事との比較、すなわち関係性によってのみ成立するのである。

 

これはあらゆるところで見られる事象だと思うのだが、研究者の日常でも見られることがある。

大学院に入って来たばかりの学生は論文を読むのにとても時間がかかる。

普通なら1時間もあれば読めるようなものが何日かかっても全く読めていないことが多々ある。

しかしここでめげずに論文を読み続けていればそのうちにスラスラと読めるようになる。

私たちの論文は英語で書かれているので、英語力が上がったせいだと思う人もいるようだが、

実際のところはそうではない。

論文は、序論・結果・考察から構成されるのだが、

その論文をしっかり理解する為に必要なことは序論を正しく読めることである。

序論とはすなわち、その論文で示される結論の歴史的な位置づけであるわけで、

それはその論文の「意味」であり、

これを理解することなく示された結果だけを理解してもそれは全く意味がない。

意味付けができない以上は、読み終えた瞬間に内容は忘れられてしまう。

しかし、最初のうちは意味が分からなくてもがんばって論文を読み続けていると

知識が少しずつ溜まって来て、ある瞬間にそれらの間に橋が架かって関係性が構築される。

こうなると、次から読む論文は既に構築されている関係性の中に入れられ

新たな架橋がなされて強固な「関係性のネットワーク」を作り上げる。

そうなると、その新しい知識にも簡単に「意味付け」がなされ、

結果として理解できるし忘れないのである。

したがって、論文を書く時に一番難しいのは序論であることはご理解いただけると思う。

だから、この世界にもう20年以上存在している橋本でも

自分の専門分野の論文なら斜め読みしても内容をつかむことができるが

専門から少しでもはずれたら時間をかけて読んでもなかなか理解できないし、

ちゃんと理解する為には、その周辺の論文を数本同時に読まないとならない。

 

ということなので、まずはかたち論の「かたち」をみなさまの頭の中に作ってもらう為に

ドブにゴミを溜める作業が必要なのだろう。

思いつくままにいろいろとかたち論的な物事を書いていき

それらを読み飛ばして頂きながら

最終的に橋本が考える「かたち」に関して理解してもらいたいと思うに至った。

これは、何か思いついたら不定期に書き足していこうと思っているので

もしかしたらこのままあとが続かないかもしれないが長い目で温かく見守っていただきたい。

要は、「歴史の勉強の仕方」と「ゲノム」を同じ視点で見ようとすることになるので

私の日本語作文の能力で果たして可能なのかという問題でもある。