かたちとは何か?その2
「かたち」という言葉で私が表している概念は、
他に適切な日本語を思い浮かばないから平仮名で「かたち」と表現しているに過ぎない。
「かたち」という言葉にそのような意味があるわけではなく、「苦肉の策」的な感は否めない。
これを別の適切な日本語で表現できたらどんなに楽だろうかと思うのだがなかなか私には難しい。
「かたち」という言葉の語感から短絡的に「構造」などと表現したり、
「関係性」や「体系」という表現も使ったりしているし、
以前は「枠組み」とも言っていたのだが、なんとなくしっくり来ない。
「構造」という言葉にはその言葉が使われる状況に応じて様々な意味が成立するし、
「関係性」にしても「体系」にしても「枠組み」にしても文脈によって意味が異なる。
どの言葉を使っても、私が言う「かたち」の意味に足りなかったり超えていたりする。
もしかしたら「秩序」の方が的を射ているのかもしれないが、
秩序という言葉も文脈によって私が用いたい以上の意味を持つし、
表現したい意味を完全に含むかといえば物足りない感も否めない。
かたちという言葉を説明する時によく使うたとえ話がある。
学生時代の私の先輩にカードゲームの「神経衰弱」が滅茶苦茶に強い人がいた。
この人は、もう見た瞬間にどのカードがどこにあるのかパターンが頭に入るらしい。
このパターンも突き詰めていえば、右から何番目の向こうから何番目のように
誰にでも分かるように説明されるのかもしれないが、
この説明は本人にとっては「全く違う」となる。
だからどこに何があるということを網羅的に覚えているのではなく、
したがって、彼に言わせれば「記憶力が良い」のではないのだそうだ。
あくまでも、全体の中での関係性のようなパターンを覚えているとしか言えないそうだ。
実は、覚えていると言う表現も違和感があるらしい。
覚えるとか暗記すると言うのではなく、そこにそのカードがあるのは自明のことであって、
それが分からないということの方が不思議らしいのだ。
この「パターン」は私の言いたい「かたち」にある意味では非常に近いように思う。
先日、目隠しをしてルービックキューブをする「達人」をテレビで見た。
しっかり目を開けてもできない私にとったら驚愕の状況なのだが
この「達人」に言わすと最初の状況さえ頭に入っていれば
その後はキューブを動かすたびにその状況がさも当然のごとく頭に浮かぶそうだ。
この「頭に浮かぶパターン」も私の表現したい「かたち」の概念に近いと思う。
神経衰弱にしてもルービックキューブにしてもそうだが、
どちらもそのときの「パターン」を言語によって説明しきれない。
もちろん、無理矢理になんらかの説明はできるのだが、
その説明は、彼らの頭に浮かぶ「パターン」を説明しているのとは異なっている。
これはなんとなく、生命現象を分子で説明する状況に似ていると思う。
分子は各局面で働いているのは間違いない。
だから、各局面を各論として分子で説明はできるのだが、
それで生命現象(生命の論理)を説明しているのかと言われれば
それは違うと思えてならないのである。
ところで、この「パターン」を「かたち」と置き換えられるのかと言われると
それも少し意味の上での過不足が共存するように感じる。
「体系」という言葉を当てはめたい時の感覚とは
そのかたちが、構造として「閉じて」いるニュアンスが強い。
閉じているとは、そのかたちが「自立」しているような感覚である。
神経衰弱のカードやルービックキューブのように、
アトランダムに、要素が意味も無くバラバラに存在する状況をかたちとは呼べない。
要素がある種の意味を持って閉じた状況、
要素の関係性同士が互いに互いを支え合いながら自立した系を作って初めてかたちと呼べる。
こう考えるから、どうしても「系」あるいは「体系」という言葉になる。
逆に言えば「システム」あるいは「体系」はかたちとして考えることに問題は無いと感じる。
ただし、「体系」や「システム」という語感には動的な感覚がつきまとう。
かたちを考える際にはどうしても時間軸を固定したいので、
その意味で「体系」という言葉は言い過ぎ感が強いのである。
この流れから自然に「秩序」という表現が浮かぶ。
「秩序」という言葉にはあまり動的な意味合いを私は感じないからである。
さて、では秩序をどう考えるのか?これが難しいのである・・・。