宮田先生とソフトモデル
宮田先生のソフトモデルには共感する部分が多いと思っている。
しかし,宮田先生とお話しさせて頂くとどうも話が噛み合ないことがある。
その辺りを先日じっくりとお話しさせて頂いたのだが
どうも,宮田先生のソフトモデルというのは
「ソフト」に主眼がおかれているのではなさそうな気がして来た。
宮田先生は、クリスタリンなどの例を引いて前適応の話を良くなさる。
もともと代謝酵素であったものを使い回してレンズを作った。
新しい遺伝子の獲得無くして新しい構造を獲得したのだから
ハードの獲得ではなくソフトの獲得が重要であるということである。
言っている意味は私の考えていることと非常に近いのだが,
立っている場所が少し違うのではないかと私は感じ始めているのだ。
というのは,宮田先生の言い方をそのまま受け取ると、
新しい機能をもったクリスタリンを獲得したからレンズができたと考えられる。
宮田先生は、代謝酵素から構造タンパク質へと意味が変わったとおっしゃっている訳で,
その意味が一義的なものとすれば、新しい意味を持ったタンパク質の獲得によって
新しい構造であるレンズができたのだということにもなる。
同じことのように感じられるかもしれないが私の解釈は違う。
まずは,今までも書いて来ているように意味はア・プリオリに存在するものではない。
意味とは,それを取り巻くその他の要素(遺伝子・分子)との関係性から規定される。
したがって,もともと代謝酵素としてもクリスタリンも、
偶然に生じたタンパク質が周辺の分子との関わり合いによって代謝酵素としてたまたま機能したに過ぎない。
代謝酵素という意味がクリスタリン分子にアプリオリに備わっていると考える方がおかしい。
だから、周辺の分子(との関係性)が異なればクリスタリンが担う意味も変化してかまわない。
だから、意味が変化したと捉えるのは間違いであり,
意味を規定する周辺環境が完全に変化したと考えるべきである。
で,周辺環境とは何かと言えば、同じ細胞内で今までは共存しなかったタンパク質や
その他の構造などが偶然に同一時間に存在することによって
レンズを作るという現象を獲得し,
その事象によってクリスタリンにレンズの構成タンパクという意味が与えられたのである。
だから,重要なのはクリスタリンの意味の変化ではなく、
クリスタリンに異なる意味を持たせた「関係性」の変化であると考える。
今までも論じて来たように、周囲の分子との関係性こそが「ソフト」であり、
関係性に変化が生じることによって、
その「かたち」の構成要素である分子たちの意味にも変化が生じるということに過ぎない。
だからこそ、私が考える「ソフト」とは意味の変化ではなくかたちの変化なのである。
もう一度いうが,意味とはかたちの中に置かれて初めて「意味をなす」のである。
ソフトもハードも人間の認識(あるいは脳の機能)のなせる業であって
おそらく本質的には分離されるべきものではないのであろうが
人間はそれらを分離しなければ思考できないらしい。
おそらくソフトとハードの同一性を表現しようとした言葉が「色即是空」なのではないだろうか?
色はハードであり,空はソフトである。
で、宮田先生はソフトと言いながらやはり「色」を見ているような気がするし
橋本は、見えない「空」を見ようと苦闘しているのだろう。
宮田先生とのこの辺りの考え方(見方)の違いが,
話し始めは良いのだが話している最中に会話に齟齬が生じる原因なのかもしれない。
なお、これらは宮田先生と橋本のどちらが正しいかという議論ではない。
同じものを見る時に,立っている場所が異なれば見え方も異なる。
単にそれだけのことである。