脊椎動物と無脊椎動物「個体発生における神経堤・プラコード・脊索前板の出現」(5/6)
私たちの研究から、神経堤・プラコード・脊索前板の成立に必要な新しい分子機構が明らかとなって来ました。分子発生学の文脈では,元来,遺伝子の発現制御に注目して細胞の分化などを論じるのですが,私たちが見つけた現象は直接的にはこの流れに乗らないものでした。それは、たとえば将来神経堤になる細胞は未分化な状態を維持されていなければならないということで,分化と増殖は相反するものとされて来た古くからの発生学の流れにしたがって、「未分化性を維持すること」とは「分化状態に入らないこと」であり,だから「増殖状態を維持すること」あるいは「細胞周期を維持すること」こそが予定神経提細胞を作る為に重要であるということです。私たちが見つけた分子機構は,まさに「細胞周期を止めることを阻止することによって予定神経堤細胞の未分化性を維持させる」ということだったのです。細胞周期を一時的に止めて分化の方向に向かわせる機構を阻害する分子こそが神経堤やプラコード・脊索前板の決定に極めて重要であったということです。これは,神経堤やプラコード,脊索前板などの性質と見事に符合するように感じます。というのは、神経堤やプラコードはその定義からして、初期発生過程の比較的後期に細胞の一義的な運命が決まる細胞群であり,それは神経にもなれば筋肉にも骨格にも色素細胞にもならなければなりません。一般に神経は外胚葉性であり骨格は中胚葉性であると考えられているように,そのような多種多様な組織へと分化する能力(すなわち多分化能)を神経胚よりも後まで維持し続けなければならない,すなわちそれ以前の神経・表皮が誘導される時期に何かに誘導されてはならないと考えられるからです。
ここで妄想を膨らませて考えると楽しいことがいろいろと考えられます。神経堤やプラコードは、神経板と表皮の境界に生じます。神経板や表皮は原腸胚においてその運命が決まり,それぞれ分化の方向へと進みますので,神経堤とは逆に細胞周期を一旦止めなければなりません。その状況の中で,境界部分だけが細胞周期を維持し,未分化性(多分化能)を維持し続けることになります。ここで神経や表皮がどのように誘導されるのかについて考えましょう。神経・表皮は神経堤やプラコードと同じように未分化外胚葉からできて来ます。初めは一枚のシートであったところに,神経が誘導され,表皮が誘導されるということです。その誘導に関わる重要な物質として骨形成因子(BMP)があります。BMPの活性が十分に多いと表皮に,逆にBMPの活性を徹底的に低くすると神経に誘導されるのですが、その境界に生じる神経堤やプラコードは短絡的に想像できるように「中間濃度」のBMPによって「誘導」されることがかなり以前から知られていました。しかし、世界中の研究者は「中間濃度」に反応する分子機構を考えたのです。私たちは反対に、神経堤やプラコードが中間濃度のBMPによって「積極的に」誘導されるのではなく,神経にも表皮にも誘導されずに残った細胞だと考えました。神経堤やプラコードはその性質上、未分化性を維持されていなければなりませんので,ということは分化誘導を受けなければいいのではないのかと考えたのです。BMPは細胞外に分泌される因子です。細胞の外に出て周囲の細胞に働きかけることで表皮を誘導します。だから,その信号を徹底的に排除した環境になれば神経となる訳ですが,分泌因子という必然性から100から0に急激に変化することは不可能です。必ずその中間濃度の領域が必然的に生じなければならず、その領域の細胞は「表皮になるにはBMPが少ないが,神経になるにはBMPが多すぎる」というどっち付かずの状況に置かれたとも考えられます。その場所にいる未分化外胚葉の細胞群は、結局どちらの運命をたどることもできず、それまでと同じように細胞周期を止めること無く「増殖」の状態を維持している訳です。