シニフィアンとシニフィエ その4

105分前」は何時だと思うのか?これには地域差があるらしい。大半の地域では955分と考えるのだが、地域によっては「105分の少し前」と考えるらしい。最近では年代によっても違いがあると言われている。すなわち、「955分くらいを指す」と考えられている大半の地域であっても、若い人たちの一部は「105分」と考える人がいるということである。これはどちらが正しいという議論をしても意味がない。「105分前」というシニフィアンに対して二つのシニフィエが存在する上で、その関係性に意味はないというに過ぎない。この場合の意味は、その表現が使われる環境によって決まる。なぜ決まるのか?それはこの表現が「情報」である限り同じ意味を共有しないとならないからであり、そこに齟齬が生じれば、どちらかの意味は淘汰される。逆に言えば、別の意味を淘汰した結果としてその意味が成立するということにしかならない。「意味はア・プリオリには存在しえない」ということである。だから、その「意味(シーニュ)」を規定しているのは、その表現が使われている環境によるのである。同様の例えには事欠かない。秋桜はもともと「あきざくら」としか読まなかった。この漢字の並びにコスモスの意味が与えられたのはさだまし氏の楽曲による。他にも、毎年発表される「言葉の誤活用」を見ればいい。一部の若者の間では「ご遠慮ください」を「遠慮しながらしてもいい」と理解されているらしい。これはまだ笑える誤用だが、「失笑」などはそれこそ笑えない。これらも、淘汰圧が緩んできた結果、あるいは逆の淘汰圧にさらされた結果として意味が変異してきたのだろう。