英訳と和訳 追追記
「英訳と和訳 追記」という文章を書いた。そのまた「追記」である。
英訳あるいは和訳という表現は、日本人なら中学校からであって久しい馴染みのある言葉だろう。「次の日本語を英語に訳しなさい」って試験問題には悩まされた人も多いと思う。ここで思うことがある。この「英訳」あるいは「和訳」という言葉の裏には「正解」が隠れている。「正しい」英語あるいは日本語があって、その通りでなければ誤りとなる。極端な物言いになるのだが、「日本語には進行形に相当する表現がない」と私は思っている。でも、中学校では現在形と現在進行形を訳し分けなければならないので、”He plays baseball”を訳すときに、「彼は野球をしている」はバツで、「彼は野球をする」としなければ正解にはならないらしいが、こんなバカなことはない。また、たまに話題に上るらしいが、小学校の算数で「2x3=6」は正しいが「3x2=6」と書くと間違いとされるらしい。こんなことを聞くと頭の中には「?」しか残らない。その理由を理解できなかったのでもう完全に忘れたのだが、特殊な理屈があって「思考する順番が違う」そうだ。社会に出て「お菓子2個ずつで3人いるから6個買わなきゃ」ってときに思考の順番なんて考える必要があるか?どういう目的で何を求めての教育なんだ???これで子供が算数嫌いになったらどう責任を取るつもりなんだ?同様に「英訳」や「和訳」にも、私には理解できない「正解」が存在している。端的に言えば、定期試験においてはその試験範囲で習った表現以外はバツとされるようだ。そこに、「英語→(方程式)→日本語」という図式が見て取れる。しかし、何度も書いているが、英語の考え方と日本語の考え方は完全に異なる。だから、英語(日本語)の表現に近い日本語(英語)を探すしか方法はない。その際に、「この英語にはこの日本語」みたいな「定石」は確かに存在する。しかし、ほとんどの場合は英語(日本語)で表された状況を日本語(英語)で表現するしか他に手はない。以前、「鳩を嫌う人」にも書いたが、”What shall I do?”は「どうしましょう」でも「どうしたら良いのでしょう」でも正しい。どちらかだけが正しいなんてあり得ないのだが、こういうことが現実に行われている。
教育の過程では必要悪なのかもしれないが、英語(日本語)を日本語(英語)に変換できる「方程式」なんてものはない。文法なんてものもすべて後付けの理屈である。だから、その英語(日本語)で表された状況を表現できる日本語(英語)はすべて正しい。だから、訳本でも訳者によって日本語が異なる。教科書的には正しくても、とても日本語としては読めないようなヒドい訳に出会うことも少なくないし、意味がとれない場合は原著にあたるときだってある。重要なのは、ビジネスだったら英語の文章を読むことであり、相手と交渉できることであろう。海外旅行に行ったときには、自分の目的を相手に伝えられる能力が必要だし、相手の言葉を聞き取る能力が必要であって、英語の教員になるとか英語の研究者になる場合を除いて、それ以外はまず必要はない。この点が日本の英語教育の重大な欠点であると思っている。「なぜ日本人は英語を話せないのか?」とよく聞かれるが、会話の時に英訳し和訳するからだと本当に思う。
言い過ぎを承知で書くが、これらはすべて教員の怠慢だろうと思う。個々の教員の怠慢というのではなく、教育全体の怠慢ではなかろうか。だって、「正解」を作っていて、それ以外を誤答とするのが楽だから。逆に言えば、その状況を的確に表現していればどんな表現でも正解としたら、教員は本当に実力がなければダメだ。生物学だって、生物の本質的な面白さを教えるにはものすごい実力が必要である。並大抵の努力ではなダメである。しかし、教科書に書かれている言葉をただ暗記させるだけなら簡単なことだろう。教科書に書かれている知識を問うだけで済むから、試験問題だって簡単に作れてしまうし採点も簡単だ。こんな教育環境に置かれた教員は本当にかわいそうだと思う。
一昨年から「英語を教えたい」と思うことがある。私に英語教育の能力があるわけではないのだが、「そんな勉強をしているからわからなくなるのだ」と思うところが多々あるので、発想の転換というか、「言語とは何か?」に焦点を当てて英語を見直してみると、意外にわかってくると思っているのだ。合う人には合うだろうが、合わない人には合わないのだろうが、それはどの勉強も同じこと。
年の瀬も愚痴っぽくなってしまったな。
上記の考えに賛同できない方もたくさんいらっしゃると思いますが、あくまでも個人的な考えなので、ド素人の戯言と笑い飛ばしていただければありがたいです。