妙齢
私だけかもしれないが、標記の言葉の使い方が気になっている。何だろう、「私が間違えているの?」とすら感じるくらいに、私の知っている意味とは違った使い方がされている場合が多いと感じる。いや、「多い」では生やさしい。実際には正しい使われ方に出会ったことがないように思う。文章の中で「妙齢」とあって、読み進めるとほとんど必ずその女性は40〜50代かそれ以上の「高齢女性」である。私だって60代である。だから、40代を「高齢」というつもりなど全くないのだが、「妙齢」が若い女性を指し示す言葉なのでここではあえて「高齢」としただけである。「妙齢」と呼んで構わないのは、普通は20代、どんなに譲歩しても30代前半までだろう。なにがきっかけでこのような使われ方がされ始めたのだろうか?思い当たるのはワードショーのコメンテーター(片仮名ばかりだな)が高齢女性を指して「妙齢」と言っていたことを何度か聞いたことがあるので、そういうところかもしれない。本来は「ニラレバ炒め」という料理を、バカボンのパパがテレビで「レバニラ炒め」と連呼していたのを見て育った世代が「レバニラ炒め」というようになったらしいので、テレビの影響は大きいのだろう。何度となくこの欄で「苦情」を書いているのだが、性懲りも無くテレビやネットでは、涙すら流さずほんのちょっと泣き顔になった程度のことをいまだに号泣と表しているので、もはやこれが市民権を得たようにさえ思っている。こうやって言葉の意味が変わっているのだろうが、あまりにも性急に過ぎるなあとも思う。年なのだろうな。