税の分配と寄付
税金の配分(使い道)って、人それぞれに異なった「正義感」が間違いなく存在する。国防予算を何よりも重視したいと考える人もいるだろうし、文化の助成金を手厚くと考える人もいるだろう。もちろん教育や福祉などに重点を置くべきだとの価値観も存在する。自分の希望通りに税金が使われないと国民はイライラする。税収が一定なのだから、何かを増やせば何かを減らさなければならないのは自明の理だ。その配分を決めているのは、政治家も一部で判断しているのだろうが、おそらくほとんどは役人の仕事だろう。
欧米と比べて日本には寄付の文化があまりないように感じられる。感覚的には篤志家が地腹を切って行なう慈善事業のようなものと寄付という行為が日本では捉えられているのではないだろうか。文化(歴史・宗教)的な側面も大きいだろうが、税制の違いがあるのは間違いない。欧米では寄付することによって簡単に大きな税金の優遇を受けられるが、日本では控除金額や控除される範囲も小さく、何よりその手つづきが煩雑との理由から寄付が一般に広まっていないとも言われている。なんにしても税制や精神性など複合的要因からか、たとえばアメリカでは個人からの寄付が過半数を占めるのに対して、日本では大半が企業からの寄付である。また、寄付の金額も桁が二つちがう。日本の大学は国からの交付金によってその運営がなされているが、アメリカの有名大学の運営は寄付によって支えられている部分が大きい。大学はその莫大な寄付金を運用することでさらに大きな基金を作って安定的に大学の運営を行なっている。考え方が根本から違うのである。
ここまでは、普通に知られていることだろうと思うが、寄付によって税制優遇が受けられるということは、本来払うべき税金を自分が希望するところに使えるというわけで、税金の使途としてはむしろ健全に感じられる。アメリカに住んでしばらくしてこの制度を肌で感じてから、なんとなく「ああ、民主主義だなぁ」と感じた。日本では税金をお上に預けて、それを賢い人たちが分配してくれるものだと感じられる(「お上」という表現の存在が何かを物語っているな)。「賢い俺たちがきちんと分配してやるから、愚かな庶民は黙って従っていればいい」と言われているような気にさえなる。どんなに反対意見があっても使わなければならない税金もあるだろうから、すべてを国民それぞれの意思に任せろというつもりはさらさらない。ただ、一定割合はこういう自由度があってもいいように思う。アメリカの制度では、己の意思で大学に寄付している人もいるだろうが、絶対的な税金の優遇措置があるから寄付している人もいるし、そちらの方が多いのではないだろうか。もし、税金の優遇措置がなければ(すなわち節税にならなければ)これほどの寄付金が集まっただろうか疑問である。日本でも、大きな節税になるとなれば、多くの国民が寄付を考えるだろうと思う。ふるさと納税なんかは似たような感覚なのかもしれない。さすがに自衛隊への寄付が現実的とは思えないが、教育や福祉に関わる非営利団体などへの寄付に対して税金の優遇枠はもう少し広げたら良いのではないだろうか。