応用力
「基礎」と「応用」という従来の意味合いとは異なるのだが、今ほど「考える力」が求められている時代はかつてなかったように感じる。
以前から思っているし、この欄でも何度となく書いたことでもあるが、一定程度以上の「知識」は不要ではないかと思っている。と書くと誤解を生じる。言いたいことは、以前よりもまして「暗記」の必要性がなくなってきているように思っている。ただ、これにも注釈が必要で、「何も覚える必要はない」などと愚かなことを言うつもりなど毛頭ない。この点について言えば、小中学校では徹底的に暗記させることをむしろ推奨する立場をとっている。その理由はどこかで書いたはずだし、また機会があれば書こう。
さて、「暗記」についてである。これは学生時代から考えてきたのだが、専門分野であれば無理に暗記などしなくても必要なことは嫌でも覚えている。毎日、論文を読み、友人と議論をするのに必要な知識は覚えざるを得ない。ただ、例えば私などはアミノ酸の構造をかけない。ヌクレオチドもかなり怪しい。「プリンとピリミジンは確かこんな形だったような・・・?」程度である。もちろん知っているに越したことはないだろうが、知らなくたってそれほど困ったことはない。必要なら調べればいいだけのことで、アミノ酸であれば詳細の構造よりもその性質の方が重要で、それこそタンパク質の配列中にアルギニンがたくさん出てきたら「かなり塩基性だなあ」「DNA結合蛋白だろうな」などと思うし、疎水性アミノ酸が多ければ「膜蛋白かな?」と思うが、その程度で問題はないと思っている。これが、たんぱく質を専門に研究している研究者や学生ならアミノ酸配列は問題なく描くことができるだろうが、逆に私たちの専門分野の知識は調べないと知らないことも多いはずだ。要は、アミノ酸の構造が必要であれば調べればいいだけのことで、もっといえば調べた構造から次の議論に突き進めるかどうかが重要なのだと思っている。これをここでは「応用力」と呼んでいる。
私たちの時代は調べるのにも労力がいった。まずは、ある程度の周辺知識がなければどの本のどのあたりを調べたらその情報が見つかるのかわからないので、「暗記は不要だ!」とは言ったものの、全体的な知識は持っていなければならなかった。でも今はネットがある。ネットのみならず生成AIがある。ただの知識が単独で出てくるだけではなく、その情報は文脈の中ででてくる。それが短時間で調べられるわけだ。だったら、次に求められるのは、これらの知識を使いこなせる能力であろう。「難しい」と批判された共通テストの生物が求めたのもこの能力だったと思う。今や固有名詞の暗記にほとんど意味がない時代となってきている。現象を見て、それをどのように説明するか、知識をどのように並べられるのか、その能力が試されていると思っている。暗記はもういいから、知識を使いこなす能力が求められている。だから、高校生物(生物に限らないと思うのだが)教育は、大きな曲がり角に来ているのだろう。