なんでも食べよう!
先日ホルミシスの話を書いた。そこからの連想である。
好き嫌いをせずになんでも食べなさいと昔からよく言われる。私は好き嫌いがないので、というか皆さんが嫌うようなものを好む傾向にあるので、理由もなくこの言葉を信じていた。大人になってからは、おそらくまだ人間の知のはるか先に、我々が生きる上で重要な「栄養素」があって、そういうものはさまざまな食材を食べないと摂取することができないからなのだろうなと漠然と考えていた。だから私はサプリメント的なものには否定的である。全否定かと言われたら必ずしもそうではなく、必要に応じて補助的(まさにサプリメントの語意のまま)に接種することを否定するつもりはない。ただ、日常的にサプリメントに頼った食生活を肯定できないのである。
繰り返しになるが、我々の「知」って高が知れている。知っているものしか知らない。当たり前の話だ。人類がまだ知らないことはこの世の中には山のように存在する。だから、我々の知識にある栄養素だけで生きてはいけるのだろうが、何か重要なものが欠落していると感じている。問題は、その「もの」の知識を人類は持っていないので、それが何かを言うことができないからただの観念論で終わってしまうことだろう。まあ、他人に強要することでもないので、それはそれでいいと思っている。いつも言う話だが、「おばあちゃんの知恵袋」的なところに大切なものが潜んでいると思っている。最先端の科学が貝原益軒の養生訓に行き着くように思っているし、実際にそうなってきているように感じる。
さて、ここまでは「何か未知の微量栄養素」の話なのだが、もしかしたらいろんなものを食べることで「微量毒素」を体に入れているのかもしれないと少し考えるようになってきた。マトソン博士が「微量毒素を摂取するために植物を食している」としたように、多種多様の食物を摂取することによって、その食物からしか摂取できない成分を取り入れることができる。ここにホルミシスの効果があるのかもしれないし、さらには自然界に存在するさまざまな物質を「経験」させることによって免疫系を鍛えることもできるだろう。これは小さい頃から泥だらけになって遊んでいる子供が花粉症やアトピーになりにくいこととも繋がるような気がする。
微量栄養素にしても微量毒素にしても、我々人類はまだまだ無知である。我々は自分たちが知っているわずかな知見の中でのみ思考しているに過ぎない。科学は万能であるはずはないし、だからこそ科学は常に「漸近的な真理」を追い求めているのである。