ダイハード
昨日ダイハードに触れたので、少しダイハードの話。
映画って、細かいところまで作り込まれていると思う。以前に大脱走の話を書いた(ような気がする)。最後の見どころの一つ、スティーブ=マックイーンがドイツ兵から奪った単車で国境を越える時、最終的に銃撃され、国境の鉄条網に引っかかって両手を上げた時に胸の階級章のようなものを示した。もっと前段階では、単車を奪った時にドイツ兵の制服も奪って着替えたのだが、最後はそれを脱いでシャツの姿に戻っている。若い(というか小さい)時にみたこのシーンは不思議だった。なぜわざわざ軍服を脱いだのか?なぜ階級章を見せたのか?
何度か見直すうちにその理由がわかった。私服で逃げる場合には脱走兵として認められるのだが、変装していたらその行為はスパイ行為とみなされるわけだ。脱走兵は国際条約に沿って扱われなければならないのだが、スパイはその場で処分できる。だから、リチャード=アッテンボローたちは処刑されたのだ。もう逃げられないかもしれないと思った場合には、変装せずに私服にするし、捕まった場合には軍人であることを示すために階級章を見せる。それが説明なく映像として見せられるわけだ。
ダイハードを見ていた。最後にミセスマクレーンが、ビルから落ちかけているテロリストのボスに腕を掴まれて道連れにされようとしている時、掴まれている腕を引き離すために腕時計を外すのだが、この腕時計は優秀社員として会社から贈られたものだった。映画の最初から、一警官とキャリアウーマンの葛藤が底辺に描かれていたように思うので、この腕時計のシーンも一つの象徴だったのかもしれない。
時代劇では顕著だと思うが、一つの所作に深い意味が込められていることが多いと感じる。同じ映画でも複数回見ることで新しい気づきがあるのだろうな。