大丈夫です

年配の上司から若手社員が飲みに誘われた。

上司「今晩、軽く美味いものでも食べに行こうか」、部下「大丈夫です」。

夕方、上司は部下を探し回っていた。同僚に「〇〇知らないか?」と聞くと、「ああ、あいつは帰りましたよ」と言われる。「え、飲みに行く約束してたのに・・・」。

このやりとりはもう普通なのだろうが、私の年代の人間は上司の気持ちが痛いほどわかる。「大丈夫です」は普通「了承」を意味すると思うから、「今日空いてる?」に対して「大丈夫です」と言われたら「空いてる」と考える。ここで言えるのは、「大丈夫」という言葉が独自の意味を持ち始めたということだろう。

例えば、最近有名な女優さんが亡くなった。その報道に「風呂で座ったまま倒れていた」とあった。普通、「倒れる」という言葉は体を横にするという意味で使われる。人間以外にも、「風によって木が倒れる」などと使われる。だから「座ったまま倒れる」という表現に不思議な感覚になる。これも、本来の「横になる」から「(病気などで)通常の状態を保てなくなるような状況」を指しても用いられるようになった。そう言えば私も、この意味で使ったことがある。大学院時代に父親が心臓病で緊急入院をしたのだが、その状況を指導教員に説明する時に「父親が倒れました」と言った。立っているものが急に横たわったわけではないのだが、この説明でもちろん普通に通じた。

言葉が新しい意味を持って使われ始める時にも時間差があるだろう。皆が使い始めて、辞書などにも乗るようになれば市民権を得たと考えてもいいと思うが、上の「大丈夫です」や、美味しいものを表現する時に使う「ヤバい」などは、私にはまだ抵抗感が強い言葉である。意味が生じるということは、とりも直さずその文脈(文章)の中で存在場所が確立していることである。そのあとは、その文脈や文章が、外部環境の中で淘汰されるかどうかということで、多くの場合には広まらずに「絶滅」するだろう。外部環境にも地域差がある。一定地域だけで通じている言葉は方言のように定着するかもしれないが、怖いのはこちらの環境が「一部地域」であって、その他のすべて地域では通じている言葉に触れることがなく、理解できない場合も十分に考えられる。この場合は「井の中の蛙」なのだろうな。私のように、基本的に家や飲み屋で読書しているか、一人で散歩している人間は「蛙」になる危険性が高いなあ。

次に意味が新たに加わるだろう言葉として私が思うのは「すべからく」である(すでに加わっているかもしれない・・・)。