淘汰と選択2

生命現象を考える時に1か0の二者選択的な思考が多い。遺伝子が発現しているかしていないか、ある表現型が存在するかしないか、そういう考えである。でも、おそらく多くの場合、あらゆる状況でマイノリティは存在していると考えるのが自然だと思う。その遺伝子が絶対に発現していないはずの細胞や胚でも、PCRをすればその遺伝子が微量ながらも発現していることがある。そのニッチの中では明らかに優勢な表現型があるが、それ以外にも「弱小」なマイノリティが存在して多様性を担保している。と書くと、「多様性を担保するため」と読めるが、結果としてそれが多様性を生み出しているだけのことである。マンチェスターの例でも、工業化前にも黒い蛾は(少数ではあっても)存在はしていたはずである(「突然変異」個体だと言われていたかもしれない)。現在でもアルビノ個体は自然界に存在するし、「奇形」とされる表現型は自然界に多数確認できる。また、工業化後で黒い蛾の割合が優勢を占めたとしても白い蛾が完全に絶滅したわけではないだろう。DNA配列も個体によって異なることは周知の事実だし、それらが多様性と呼ばれている一つの傍証だろう。

(つづきます)