勉強するには2

と書いていて昔を思い出した。アメリカから京大に戻ってきた時、研究室はまったくゼロからの立ち上げだった。もう30年前なので今とは比べようもないが、それでもPCやネット環境は世界と繋がっていたし、その時にも「最先端」の技術は存在している。その頃の私も今と同様にPCやネットについてはまったく何も知らずにいた。しかし、前の人が出ていってもぬけの殻になった研究室に一からネット環境を設営しなければならない。PCも購入し、プリンターに繋ぎ、大したことではなかったがそれでも素人には大変だった。教えてくれる人もおらず、とりあえずPCに関する月刊誌を何冊か読むところから始めた。最初はチンプンカンプン、一つの文の中に知らないカタカナ語やアルファベットがいくつもあって、「見た目は日本語の体裁をとっているけど、これって外国語じゃないの?」と感じる日々だった。で、面白いのはチンプンカンプンでも読み続けているとそのうちに意味がわかってくる。今のようなネット検索ができる時代ではないので、調べたわけではない。まあ、調べたところで、知らない単語を使って解説されるので理解はできなかったとは思う。で、いつもの話、「言葉の意味は文脈によって決まる」である。まったく理解不能な文章を読んでも理解できないのは当然だが、そこでわからなかった単語がまた違う文章にも登場する。そこでわからなかった文章が、またまた違う文脈で現れる。これが繰り返されると、その単語や文章の意味が「こういうことかな」とうっすらとみえてくる。これはおそらく赤ちゃんが言葉の意味を覚えるのと同じ方法論だろう。さまざまな文章や文脈によって単語や文章の意味が少しずつ限定されてくる。そして、大体の意味が理解できることとなる。その後、パソコン関係に詳しい学生さんが入ってきて、すべてを彼に投げるようになってから数ヶ月で何もわからないど素人に戻ったが、あの時の一瞬(たぶん長くて半年くらい)は、PC関係の最新情報が書かれた文章も普通に理解できていたし、その時代のPCに関する知識を一定レベル以上は持っていたのではないかと思っている。

(つづきます)