解散か辞職か

自治体の長が不信任となった場合に、議会の解散か失職(辞職)の二つが選択肢として挙げられる。これについて考えたい。ここでは「自治体の長」と書くのが面倒なので、仮に「知事」としておくが他意はない。別に市長でも町長でも同じことである。

まず、ある政策について議会と知事の意見が異なって、そのどちらが良いかを住民に問うという理由が考えられる。この場合は、知事が辞職して再選挙によって自分の政策の是非を住民に問うこともできるし、議会を解散して自分の意見に賛成の議員が再選挙によって増える(または反対意見の議員が落選する)かどうかを問うことも可能だろう。

あるいは、議会と知事がねじれ状態にある(知事を支持する議員の数が半数を割っている、あるいは知事に対立する議員の数が過半数である)場合、知事が提案する議案が議会を通りにくいこととなる。こういった場合には、辞職して再選されたとしても同じ状態が続くことになるので、議会を解散して知事を支持する議員の数を増やすことを狙う必要が生じる。

ある政策の是非を論点とする場合もあろうし、知事か議会か(知事派か反知事派か)どちらを選択するかを問う場合もあるだろうが、解散にしろ辞職にしろ、その後の選挙の争点は住民にとって明確だろうと思う。

さて、仮に知事の資質そのものに疑問が生じて不信任となった場合に、議会の解散は理屈に合わない(屁理屈をこねることは可能だろうが)。知事が、その資質を理由として議会から不信任とされた場合には、辞職して出直し選挙しかないはずだ。知事を支持する会派と支持しない会派があれば、支持派の勢力が強くなれば知事を支援することにもなろうが、その時の世論の大勢が知事の資質に疑問を持っている場合に、議会を解散しても、選挙によって選ばれてきた議員があらためて不信任決議をする可能性が極めて高いだろう。そもそも、政局ではなく、知事個人の資質や人格に関して疑問が呈されている場合には、議会の解散によって解決される案件は一つもないと考える。というか、そもそも地方自治法はこういう(知事の個人的な資質や人格を理由に不信任とされる)事態を想定してつくられてはいないと私は思う。知事の個人的資質を疑問視して、それも全会一致で採決して、世論もそれを支持している状況で、知事が解散権を有するとは論理的に考えられないのだ。仮に、「議会の方が間違えている」と主張するつもりであっても、世論が知事を支持している、あるいは世論が二分しているような場合ならともかく、時の世論が知事を支持しないことが明らかな場合には意味をなさないばかりか、議会選と知事選の2回もの選挙を県民に強いるだけでも大問題だろう。仮に「知事専用車のリース料を月に十数万節約した」ことを実績として自慢されようが、選挙は一回につき十数億円、2回選挙を行なえば30億円を超えるとも言われているのだ。いくら法律で認められていると言われても、たまたまこういう事態を方が想定していなかっただけで、法の趣旨に反するとも思えるし、何より結果がほとんど見えていることに何十億ものお金を使うことが「道義的」に許されるとは到底思えないのだ。

以上はあくまでも私が考える理屈なので、これ以外の考えを排除するものではありません。また、この議論はあくまでも一般論であって、特定の個人団体を想定したものではありません。