句点
若者の間で、句点を使ったlineの文章は威圧感や怒りを表しているとある記事にあった。年代の問題かもしれないが、句点は言うに及ばず、正しい場所に読点が打たれていない文章は読みにくく、句読点のない文章を書く人を「頭が悪いなあ」と私は感じる。私はlineを使わないのでそのニュアンスがわかっていないだけかもしれないが、でも書かれているのは日本語だろうから、日本語の規則に従わなければ意味は通じないのではないか?と言いつつ、日本語には本来存在しない疑問符「?」を私はよく使っているのだから他人のことを偉そうには言えない。
そういえば、先日発表された直木賞の記者会見の際に受賞者が「たにんごと」と発していた。文学賞の授賞式での話でこれはないと思った。「たにんごと」という日本語は存在しないはずだ。日本語には「ひとごと」しかない。戦前は「人事」という感じをあてていたそうだが、「じんじ」とも読めて紛らわしいので、ひらがなで「ひとごと」あるいは「ひと事」と表記することが増えたと聞く。意味からあてて「他人事」とも書くことはあるが、これも読みは「ひとごと」である。おそらくは、この漢字表記が一人歩きし、それをそのまま読む人が増えて「たにんごと」と発音する人が一定数存在するようになったのだろうと思うのだが、実際のところはわからない。こんなことを偉そうに書いているが、自分自身がどんなバカな失敗をしてきたか、そして現在も無知のまま失敗を重ねているかを考えたら恥ずかしくなって穴を掘って隠れたくなる。どんなに完璧であっても、たった一つ間違いがあるとそこをほじくり返される。ほとんど何も知らない人でもその一つだけを知っていて、偉い先生がその部分を間違えると鬼の首を取ったかのように「こいつはバカだ」「何も知らない」と吠える。だから、偉そうなことを何一つ言える立場ではないのだが、さすがに文学賞の場で「たにんごと」はないなあと思った。それだけのこと。たくさん駄文を書いてきているが、読点の打ち間違いを探したら山のように出てくるはずだ。そう考えたら恥ずかしてく仕方がない。