刷り込み

赤ちゃんの脳には大人の1億倍以上の神経ネットワークがあると書いた。そして、その神経ネットワークは、すべての能力を潜在しているものであり、発育と共に不要なネットワークが消失していくのかもしれないという議論をした。言語で例えれば、生まれたばかりの赤ちゃんにはすべての言語に必要な神経ネットワークが脳に存在するが、日本語の環境で育った子供は日本語で用いられない神経のネットワークを淘汰して日本語能力を獲得したということである。

さて、刷り込みであるが、有名な例は鳥の雛が初めて見た「もの」を親だと認識することであろうが、当然生まれたばかりの雛の脳の中に刷り込みに関わる神経ネットワークは存在していたと考えざるを得ないだろう。おそらく鳥の脳には、生存に必要なある限定的なネットワークしか存在していないのであって、それが「本能」と呼ばれるものなのかもしれない。対して、人間の脳には過剰なネットワークを作る余裕ができた。本能的な行動に必要なものを遥かに超える「無駄」なネットワークが進化の過程で突然(偶然に)出現した。とにかくたくさんの神経が現れ、それらを繋ぐネットワークが構築された。ただ、このネットワークはがんじがらめの構造であってそのままでは動かない。何にでも対応できるがゆえに、何にも対応できない不自由な構造となった。だからこそ淘汰が必要となった。淘汰することで集団にあるいは個人にカスタマイズされたネットワークを作ることができた。こういうことなのかもしれないな。