敬語(または年寄りの愚痴) 3/3
そう言えば、私がまだ学部学生だった頃、大学院で進学する研究室を探していた時、先生方のお話を聞きに研究室訪問をしていた。私のために時間を割いて面白いお話をたくさん聞かせてくださった。礼状は封書でというのはもちろん知っていたが、あえて堅苦しすぎることはせずお礼を絵葉書に書いて送っていた。お礼など必要ないという方もいらっしゃるだろうし、絵葉書では失礼だろうという方もいらっしゃるだろうが、とにかく感謝の気持ちを伝えたかった。橋本が学生の訪問を受ける立場になったとき感じることがあった。研究室訪問に来たほとんど全ての学生が、訪問後に何も言ってこないのだ。今の世の中だから普通にメールという手段がある。というか、研究室訪問の希望を伝えてくるときはメールなのだ。だったら、ひとこと「昨日はありがとうございました」とメールできないものかと思う。もっとびっくりするのは、何かの機会に若い人に食事をご馳走することがあるのだが、「ごちそうさま」を言わない人がものすごく多いのだ。もう驚きでしかない。ただ、(ここが橋本の難しいところなのだが)別に礼を言ってほしいのではない。というより、世話になったら、それも目上の人が自分のために時間や労力・お金などを割いてくださったら、礼を言うのは当たり前だと思っている。傲慢だと言われればそれまでのことだが、社会常識だと思う。上の例から想像するに、訪問希望のメールは、それをしないと訪問自体が成り立たないからするが、訪問して目的が達せられたらそれ以上何かをする意味がわからないってことなのだろう。礼を言ったところで相手は何も得しないし、礼を言わなくても損もしないのだから言う必要はないってことなのかもしれない。相手の負担でご馳走になったら「いただきます・ごちそうさま」を言うが、自分が支払うときには言う必要なないという理屈と同じなのだろうな。
こういうことを考えている時点で時代に取り残された化石のような人間になっているのかもしれない。ただ、日本人が世界に誇れるものは、理屈では無意味・無駄にも感じられるこのような振る舞いだろうと思うし、それが日本の美徳として世界中の尊敬を集めるものだと思っている立場からすると、これからの日本はどうなっていくのだろうと心配になる。こういうことを言うこと自体が時代遅れなんだろうけれど。
メールフォームから資料の依頼をしてくれたら送ります、ということをやっています。請求に応じてメール添付で送ります。「受け取りました、ありがとうございました。」と返信が来て、初めてこちらは相手がメールに気づいて資料を渡せたのだな、と分かって安心します。普段やりとりのない相手からのメールは迷惑メールに振り分けられてしまって気づいてもらえないことがあるからです。「送りました。受け取ったらご一報を」と、資料を添付したメールとは別にメールします。3週間過ぎても反応がないときには、気づいてもらえてますか?と、確認メールもします。
…でも、返信が来ないケースが一定数あります。また、確認メールのあと、「あ、受け取ってました、もう使いました」と、メールが来ることも多々あります。理由は、気づいていなかった、忙しかった、など、いろいろです。
自分が請求したにもかかわらず、気づいていない、って何でなんだろう。なんで「うけとりました、ありがとう」の単純な一報がとりあえずすぐにできないんだろう。理解に苦しみます。
勤務の状況を考えると、「毎日業務用のメールをチェックする」という習慣のない人も多い業種だと思います。いまはもう、メールは迷惑メールばっかりなのでほとんど見ない、必要なことはLINEでつながっている人とLINEですませる、という人も多いでしょう。通販でポチとモノを買ったとき「受け取りました」なんてお返事はしないので、それと同じ感覚なのかな、とも考えます。
でも…メールフォームに依頼を打ち込んで送信しているとき、それは、その向こうにいる「人」に「お願いしている」のだ、という気持ちにはならないのかな、と、なかなかに、不思議です。
はしもちさんと同年代なので、これも、年寄りのボヤキ、なんでしょうかね。
自分のために相手が何かをしてくれる時、それに対して感謝するのは当たり前のことだと思います。たとえ自分が頼んだことではなくても、相手が時間・労力・お金を割いて自分のためにしてくれたことにはありがたいと感じる精神は理屈抜きに当然だろうと思います。ラフカディオ=ハーンは世界一美しい言葉として「おかげさま」をあげました。この精神が失われていっているのかと感じると寂しくなりますね。自分も知らないところで失礼なことをしているかもしれませんので気をつけなければならないと思います。