敬語(または年寄りの愚痴) 2/3

「いただきます」と食事の前に言う。「ごちそうさま」と食後に言う。理屈で考えたことはないが、そしてこの言葉の由来も知らないのだが、自分がこの言葉を言う時を思い返すと、食べ物を与えていただけることに関して周りのありとあらゆるものに対する感謝を示す言葉なんじゃないかと思う。言葉にしたら「農家の方々」「料理を作ってくれた人」「この料理を食べられる健康な体でいられたこと」などなど、いろいろと表せるのだろうが、そういう言葉にしたらゲシュタルト崩壊してしまうと感じる。最近、レストランで子供が「いただきます・ごちそうさま」と言うと、「お金を払っているんだから、そんなこと言う必要はない」と親が諭したという話を聞いた。「心が貧しいな」と感じた。

最近は仕事を休む時の連絡をlineでしてくる若者が多いと何かの記事にあるのを読んだ。記事の趣旨としては、「仕事を休む知らせは電話か少なくともメールですべきではないのか」という年配の人の意見だった。その記事では「同じ連絡をするのにメールとlineでは何が違うんですか。電話代は会社が払ってくれるんですか!」と後輩から強く言われたと書かれていた。私はlineを使わないのでメールとの違いを直感的に理解できないのだが、文脈から汲み取るに、メールはある程度丁寧でlineはあくまでも表面的な情報交換に過ぎないのだろう。で、この後輩の意見であるが、内容が伝われば伝え方はどうでもいいという趣旨であれば敬語の存在すらも必要なくなる。「〇〇してくれ」も「〇〇していただけないでしょうか」も内容は一緒なのだからどちらを使っても問題ないという議論になるからだ。なるほど、今の人はこういう感覚なのか。

(つづきます)