なぜ授業を聞かなければならないのか?

授業や講義を聞かない人は「もったいないなあ」と思います。だって、人生の中でその瞬間にしか出会えない知識がそこにあるはずなのに、それをあえて捨てているからです。

現在の橋本の思考や知見は、過去に出会ったすべての人の影響が必ずどこかに入っています。そのひとつひとつは調べても簡単に見つけられるものではありません。昔は常識だったものが、時代の流れで埋もれてしまった知識は、今のように「情報過多」の時代にあってもそう簡単には見つけられないと思います。生物学で言えば、昔は生命現象が丁寧に記載されていました。しかし、今では遺伝子と分子の記載でほとんどが埋め尽くされています。だから、生命現象を知りたいと思ったらネットに頼るよりも古い本を読む方が得るものが大きいのです。

研究者ではない人にはピンとこないかもしれませんが、研究室でRNAを取り扱うことはDNAを扱うよりも難しいと一般に言われています。簡単に言えば「RNAは壊れやすい」のです。その理由として「RNA分解酵素は失活しない」とされることが多いのですが、そしてRNA専用の実験台を作ったりして必要以上に綺麗な環境を作っている研究室もあるのですが、ほとんどの場合これが理由ではありません。RNAが壊れやすい理由は、RNA自体の構造が持っています。「こんなことは常識で、昔は誰でも知っていたのになあ」などと思ったりもしますが、こんなことを言うと「歳をとったなあ」と我ながら思います。「核酸の濃度を測定するときに使用する紫外線の波長が260・280・320nmであること」の理由や「制限酵素を用いる時の酵素量とDNAの関係」なども知らない人が増えています。こういうのは勉強して学ぶものではなく、日常的な会話の中で先生や先輩から自然と学べるものだと思います。そして、講義講演や日常会話の中にそのような「常識」が溢れています。そういうことの積み重ねが自力をつけてくれると思います。実験の意味を無意識で知り、どこが重要でどこに集中しなければならないかを直感的に教えてくれる基礎を与えてくれます。

先生が、先生の経験から、先生の脳みそでまとめてくれた知識には、その先生特有のかたちがあります。知識は意味付けしなければ理解できません。一方向からの意味づけではなかなか理解が進みませんが、複数の角度から意味付けされることで理解は深まります。先生は、先生なりの意味づけをしてその知識を示してくれます。ときに、私たちが思ってもみなかった方向から意味付けして見せてくれます。私たちが関係づけようとも思わなかった別の知識と新しい関係性を見せてくれます。そういうかたちのひとつひとつが貴重なのです。そのかたちを自分の力で作るには、先生と同じ時間同じ経験を積む必要があります。その時間をかけて作ってくれた知識を無料で教えてくれようとしているのです。こういう知識こそが基礎を作ってくれます。こういう基礎を持っていると、新しい知識を取り入れる場所を作ってくれます。こういうちょっとしたことの積み重ねが「基礎力」の源だと思うし、「地頭の良さ」につながるのだと思います。

特に最近の若い人は、「後で調べたらわかる」と思っている傾向が強い気がします。大学院生に講義をすると、とにかくスライドや黒板に書く内容をスマホで撮影します。レポートを課すと、そのキーワードで検索した内容がそのまま書かれてきます。自分の脳みその中で整理し直すという過程を踏みません。でも、先生が話す内容は教科書の内容ばかりではありません。先生が何十年もかけて経験してきたことが整理されて先生の言葉で語られます。これを聞かずして何を学ぶのか?本当にもったいないと思います。