英語の学習 3/3

「英語の学習」というタイトルで書き始めましたが、ここで書いてきたやり方は実は英語の学習だけに限りません。人間の脳が何か新しいことを習得するときに共通する方法論だと思っています。このことについてはかたち論や ことば論、 形についての小論などにも書きましたし、「かたちとは何か」というレクチャーでもお話ししています。ここでは「英語を教えたい」というテーマで書いていますし、それは本当に長い間思ってきたことなのですが、「考える会」の思想とも根っこを同じくしていることでもあります。そして、それは生物の成り立ちや進化の過程にも通じていると考えていることです。余談ですが、ではなぜ「英語」なのか?と問われれば、今の橋本には英語以外に教えられる教科がないからです。理科も数学も高校時代は好きでしたが、それも四十年以上も昔の話で、もう完全に忘却の彼方です。英語だけは、いまだに使い続けています(論文は英語なので、毎日英語を読んでいますし英語の論文も書いています)から、構文とか文法とかの学校英語の知識はなくても、読み書きくらいは仕方なくできているのです。

研究はもう終わりになります。十分に満足しましたし、自分なりには納得のいく結果は残せたと思っています(もちろん自己満足です。偉い先生方からは叱られ続けてきましたから)。今後は少しでもこれからの日本を背負って立つ若い人たちに貢献できれば嬉しいなと思っています。それが英語であろうが科学であろうが研究であろうが高校生物であろうが(思想・哲学であろうが)若い人に少しでも役立つことであればなんでもやってみたいなあと漠然と思っています。ただ、特に教室を持ちたいとか、カルチャーセンターなどで講座を開講したいとか、そういう具体的な希望を持っているわけではありません。望まれればなんでもやりたいとは思いますが、積極的に自分から売り込むことを良しとしない性格なのです。いくら自分では「この方法が正しい」と信じていることであっても、「独りよがりの自己満足ではないか?」といつも自分に問いかけていますので、「違う考え方の人ともいらっしゃる」でしょうし「価値観は人によってバラバラだ」とも思っていますので、積極的に行動を起こすことが「相手に迷惑になる」と感じてしまうから、どうしてもかなり受け身の気持ちになってしまうのです。なので、これまでも橋本の尻を叩いてそういう場に立たせてくださったUさんのお力がなかったら「考える会」も橋本の妄想の世界の中だけで終わったと思っています。で、実際にやってみたらものすごく有効だったので「やって良かったな」と感じるわけです。

まあ受け身のままでいると、しかも退職後は公式の身分もなくなりますのでなおさら、上に書いたことが実現する可能性は限りなくゼロに近いでしょうから、大半の時間は・・・そうですね、一生かかっても読み切れないくらいの本を買っていますので、のんびりと読書と思索に勤しみましょう。まあ日常的にいろいろと考えて、何か思いついたりしたことを「哲学談義(というほどのことではなく、「生き物ってなんだろう?」「進化ってどういうこと?」としてどこかで誰かとしてみたいなとは思います。それから、趣味で料理をやっていますが誰からも学んだことはありませんので、どこかの厨房で雇ってもらえるところがあったら、皿洗いでもなんでも構わないので週に2〜3日は調理の現場に入れてもらえたら嬉しいなとも思っています。