言葉とゲノム
ゲノムはしばしば言語に例えられる。
宮田先生のソフトモデルを橋本流に解釈すれば、
極論だが、ヒトの遺伝子をチンパンジーの遺伝子とすべて入れ替えても
それはヒトのゲノムであるという感覚だろうか。
これをゲノムに例えれば、
日本語の単語をすべて英語に置き換えたとしても、
おそらくそれはやはり日本語であって決して英語にはならない。
たぶんルー大柴さんの話し方に近いものとなるだろう。
もちろん英語しか解さない人には理解できないが、
日本語がわかる人には何となく伝わるみたいなものと言えば分かりやすいか。
なんにしても、言語やゲノムの本質は使われている単語や遺伝子によるのではなく
しばしば「文法」に例えられる「何か」にあるのではないかということだ。
なぜいまこの話?だが、ルー大柴さんの話がテレビで出てきたのを見て
ふと思いだしただけのこと。