寝てばかりいると・・・・

腰痛で動けなくてとにかくごろごろ寝転んでばかりいると

普段ぼーっと考えていることを考え続けたりしますね。

で、この連日の進化に関する雑文なども、

もう少しまとめ直さなければならないことは分かっているのですが、

なんとなく書いてしまいました。

 

コバチがイチジクを認識する仕組みが種分化の原動力であるという想像は

まあ考えやすいというか、誰にも納得しやすいかもしれませんが、

それが本当なの?って疑問はかなり長くもっていました。

いや、コバチとイチジクの話は例として挙げただけのことで、

似たような思考はかなり多いと個人的には思っています。

我々は現存する生きものからしか判断できない。

だから、あらゆる可能性を考えなくてはならないと思っています。

でも、実際には過去に一度だけ起こった物語の原因を

現在生きる我々がどのような方法で知ることができるのか分かりません。

 

例えば、まさにいま種分化が起こりつつある生きものを解析する手法はあるでしょうが、

それがまさにいま種分化が起こりつつあるとどのように判断するのか?が

まず最初に感じる疑問でしょう。

まあそれは無批判に認めるとしても、

いままさに種分化が起こりつつあるってことは、

ひとつの遺伝子だけが変異を持ち、

その結果として共生関係にあるイチジク種が変わるとしても、

それはふたつの意味で慎重に考えざるを得ません。

ひとつは、種分化の結果を見ることができない段階で、

その変異と種分化の関係を短絡的に認めていいものかどうか?

もうひとつは、「その」変異が「その」種分化には関係しているとしても、

それが過去の種分化の原因だと言っていいのか?です。

 

まあ、こんなにケチばかりつけていれば何もできないでしょうが、

でも、こと進化に関しては過去を再現できない以上は慎重にならざるを得ない。

実験科学では再現性がその論理を裏付けてくれます。

でも、進化の現象は一回こっきりのなんでもありだから、

普通の実験科学の論理体系とは異なる思考が要求されると感じるのです。

「現存するコバチがどのように宿主を認識しているのか」が問題ならそれは実験科学で解けます。

匂いの受容体が原因だとする仮説を置き、

それを実験的に検証すればいいことだからです。

でも、進化の問題は違います。

このような実験的検証が成立した結果であっても

それが過去に起こった種分化のきっかけかどうか判断できないからです。

進化に関する妄想は面白いし、そんな話をするのは好きです。

でも、それを研究として行なうことは私にはかなり難しいことだろうなとも思います。