清水さん
昨日、清水さんにヒドラの話をしてもらった。
いやあ、面白かった。
ゲノムを考える集まりであえてなぜヒドラの話なのか?
それをどれだけの人がご理解くださったのか定かではないのだが、
一部の方だけでもニヤッとして下さったらしめたものだ。
清水さんは工学部出身のエンジニアなのだが、
私が知る限り最も「生物学者」である。
物理も数学も得意の方が最高水準の「生物学」をなさっている。
清水さんとはもう四半世紀を越える付き合いである。
変にウマが合うというか、科学に求めるテイストが同じなのだ。
だから彼が面白いと思ってやっている研究は
私にとってものすごく面白いし、
私が楽しんでやっている研究を彼は高く評価してくれる。
もちろん「仲間誉め」に近い感じがしないでもないのだが、
いちいち欠点をほじくりだしては指摘する傾向の強い
あるいは最先端の技術を用いなければ否定されがちな昨今では、
自分がおもしろいとおもっている仕事を
他人から同じ視点で評価されるととても嬉しい。
私は、おそらく清水さんも、ゲノムは結果が記載されていると考えている。
ゲノムの変異も、固体発生の拘束を逃れられない。
いかなる変異も、その固体が大人になり子孫を作れなければ残り得ないのだから。
だから、自然淘汰と一般に言われる圧力よりも
発生の拘束の方がゲノムに対してはるかに強い圧力をかけているというのが
私たちの考え方である。
だからこそ、発生を見なければならないのだ。
もちろん、形質によれば発生に関わらない変異もあるだろう。
しかし、私はかたちの変化(進化)にしか興味は無いので、
かたちの変化を伴う変異には発生拘束が必ず働いていると考えて良いと思う。
何らかの隔離による種分化がかたちの変化を誘導する場合もあろうが、
それはかたちの緩い変化をもたらすだけであって大した意味はないと思える。
だから、ヒドラとクラゲとイソギンチャクを比較する意味がある。
そこに存在する、予想を大きく越えた違いに愕然とする。
おそらくこれをゲノムから考察するのは無理だろう。
形態や発生の研究があってそこにゲノムの情報が生きるわけで、
ゲノムの情報からこの違いを指摘することは絶対に不可能だと思うのだ。
だからこそ、進化を考えるには個体発生を考える必要があるとする。
逆の言い方をさせてもらえば、
発生の拘束を許容する限りにおいてあらゆる変異も許容されることとなる。
この辺りが脊椎動物のボトルネックの意味だろうと思うし、
だからこそ私は原腸形成と頭部形成を考えているということだ。
まあ、こういうニュアンスを清水さんの話で感じてもらえたら嬉しい。
もちろん、これらは個人的な価値観であることはいうまでもない。
ゲノムからの研究も重要である事実は変わらない。
ただ、私はゲノム配列からの研究にはどうしてもアレルギーがあるだけのことである。
この辺りが館長にいつもお説教されるところなのだが
趣味や嗜好だけはそう簡単には変わらないから始末が悪い。