ジグソーパズル3
一般に突然変異はかなりの確率で起こっている。その都度に新しい生きものができないのは、高度に組み上がったジグソーパズルを崩して新たな模様にできる可能性がほとんどゼロだからなのだろう。だから、一つのピースに変異が入った場合には大きく二通りの可能性しか考えにくい。一つは、その変異がそれまでの関係性を邪魔しない場合である。すなわちピースの形が多少変化しても今までと同じ場所に組み込めるので、全体として全く変異がないと見なせる。たとえばマウスの特定遺伝子をショウジョウバエから得られた同等の遺伝子と入れ替えても正常に発生する場合がこれに相当するだろう。もう一つは、その変異によってピースの形が周囲のピースと合わなくなる場合である。完全に合わなければ、ゲノムとして成立できないので結果としてその変異をもつ個体は正常に発生できない。
ただ、「正常発生できない」で終わってしまったら議論が続かないので、ここでは他の正常なピースがその穴を埋める事によって、形が変化した事によってそれまでのパズルを作れなくなったピースも、とりあえずそのままゲノムの中に潜在できるとしよう。変異はすべての遺伝子にまんべんなく起こりうるので、ある個体ではAという遺伝子に変異が入っても、違う個体ではBという遺伝子に変異が入っており、別の個体にはC遺伝子に変異があるという具合である。もちろん、どちらの変異もそのままではパズルの部分にはなり得ないのだが、ジグソーパズルでは各ピースに特定の意味があるのではなく、一つ一つのピースの出っ張りや引っ込みの場所や形と隣接するピースのそれらが互いに一致するのかどうかだけが重要なのである。極論すれば、ピース上に描かれている絵の一部分などなくても良い訳である。ある絵を作る時にそのピースが船のマストの一部であっても、全く同じピースが絵の別の部分になる場合には、そのピースは富士山の頂上になるかもしれない。すなわち、絵、すなわち生きものとして完成した時に与えられるその遺伝子の意味は、その生きものにおいてのみ意味をなすのであって、同一の遺伝子(相同遺伝子)が別の生きものを形作る時には全く別の意味を持っていたって全く構わないのである。同様の理屈は言語において理解されている。同一の単語が、それがおかれている文脈によっては全く逆の意味になることなどよく見かける。優れた小説になればこの技術を効果的に利用していることはことば論でも議論した通りなのである。