アベック

あれからもう6〜7年経つだろうかだろうか、

研究室で「アベック」の話をしていた。

カンタロー君は話を最後まで聞いていたのだが、

話し終わってからそっと近づいて来て、

「アベックは死語ですよ」とささやいた。

「じゃあ、なんて言うの?」と問うと

「カップルです」。

 

私は言葉の流行り廃りに鈍感である。

鈍感というのは新しい言葉を耳にするのが遅いという意味もあるが、

単に、流行り廃りという事柄に対して鈍感だということも大いにある。

要は、「遅れてる」と言われてもほとんど気にならないのだ。

だから、時代遅れの言葉を、服装もそうだしその他多くの事柄をも、

平気で用いるところが多い。

でも、言葉だけは伝わらなくては困る。

だから、伝わらないという経験をしたらその言葉を使わなくなる。

東京に一年だけ暮らしたことがある。

関西弁丸出しで話をしたし、

それを恥ずかしいなどと思ったこともなかったのだが、

関西弁特有の言い回しで通じなかった言葉はその後一切使わない。

一例を挙げれば「なおす」である。

関西では「片付ける」「しまう」「収納する」といった意味に用いられる普通の言葉なのだが、

ある時に「これなおしといて」と言ったら。

不思議そうな顔つきで「壊れてるの?」と聞き返された。

とりあえず説明したが、その後、この言葉を使うことは無くなった。

関西人に対しても、関西に戻って来てからも使わない。

「通じないかもしれない」潜在意識のどこかで感じているのだろうと思う。

 

さて、アベックである。

数年前に帰路の電車で高校生の二人連れを見かけた。

二人掛けの座席に並んで座っていた二人は、

互いに寄り添い、ぴったりと身体をくっつけ、

頬と頬をすり合せながら、唇がくっつくのではないかというくらい近くで見つめ合ったり、

1人がもう一方の太ももの上に上半身を横たえたりしていた。

まあ、我々の世代が言うところの「いちゃついていた」のだ。

私は時代の変化に取り残された気分だった。

我々の頃はまずこういうことはなかったと思う。

個人の嗜好をこんなに堂々と人前で「見せびらかす」ことはしなかっただろう。

私がこの時代に生まれていてもおそらく絶対にまねはできない。

でも、今の高校生は平気なんだろうなあと感心した。

感心したと言っても共感はしない。

願望も全くない。ありえない。

ただただ、時代の流れに驚愕していた。

周囲は平静を装っていたので今の世では普通のことなのかもしれない。

 

趣味・嗜好をとやかく言うつもりは毛頭ないのだが、

少なくとも公共の面前では男どうしでこういうことはやめてもらいたいと切に思った。