同窓会

このところなんか同窓会っぽい話がいくつかあります。

面倒なことに巻き込まれかけたりして・・・・・。

 

で、以前に読んだ本の内容をふと思い出しました。

たしか阿刀田高が書いていたと思うのですが定かではありません。

50歳くらいになると同窓会が多くなるのは、

もう人生の先も見え、争いの気持ちが無くなったという趣旨と記憶してます。

たとえば高校卒業してすぐなら現役合格か?それとも浪人中か?、

現役合格なら大学のレベルはどうか?などで勝手なランク付けが生じ、

社会に出たら出たで会社の規模は?給料は?

すこし経つと、出世しているのか?(肩書きはどうか?)

などなど、主に自分自身の中での物差しができて

そこにコンプレックスが生じ結果的に「勝ち組」しか同窓会に集まらない。

しかし50の声を聞くようになると、

人生も折り返しを過ぎもう世間の物差しなんか関係なくなって、

ただ昔の友人に会いたくなるということらしいです。

 

これがどれだけの人に当てはまるのか分かりません。

この文脈だと、コンプレックスを持つ人が「行かない」となりますが

同じ尺度を裏から見たら、

世間一般から見て「エリート」だと自分で思う人間は積極的に参加するってことでしょうか?

まあ人それぞれ、いろいろな価値観で判断されることでしょうね。

エリートが集まった中でも勝った負けたが存在するかもしれませんね。

で、そういった邪念と言うのか煩悩というのかがなくなるのが50という年齢なのかも知れません。

40を不惑と言いますが迷わないようになるには賢人よりは10年よけいにかかるようです。

 

さて、この土曜日に小学校の同窓(同級?)会があります。

どこでどう調べたのか分かりませんが、私のところにもメールが来ました。

よく私ごときの存在を覚えている奇特な人がいたなあと感心しました。

まあ、珍しい名前なので検索したらほぼ私しか出てこないようですから

存在さえ覚えてくれていたら探すのは難しくなかったのかも知れません。

残念ながら私は「かたちまつり」があるので行けませんが、

懐かしい面々と酒を酌み交わすのも一興でしょうね。

特に小学校の友人ってことはもちろん酒を飲む機会も過去にはなかっただろうし、

その後の進路もバラバラで会う機会すらなかった人が多いでしょうから。

それにおそらく小学校時代と比べれば外見は格段に変化しているだろうし、

名前すら記憶に無い上に外形も分からないとなったらむしろ逆に楽しいかも知れません。

私は・・・・・初恋の女性の顔を遠くから見てみたい・・・・・かな。

彼女は参加するのかなあ?????

 

まあ、この欄の読者諸兄にはご理解いただけると思いますが、

私はもともと集団が好きではないから毎晩一人で飲み歩いているわけで、

「かたちまつり」がなかったとしてこの会への参加は・・・・五分五分だったかも?

同窓生のみんなが飲んでいるとき、

私も「かたちまつり」の反省会で悪酔いしていることでしょう。