情報 その2

前回、「何が情報という概念をになっているのか?」と疑問を呈した。

しかし、お分かりの通り、この疑問自体が意味をなしていない。

すなわち、この疑問に答えようとするならば情報をになうものは物質でなければならないからだ。

だから、この疑問の答えにたとえばDNAという物質を挙げるとすると

すぐさまそれに対する反論がわき上がる。

 

では、自己複製できる何か(たとえばDNAとしても構わない)が生じたとしよう。

それは情報足りえるのか?の疑問にはふたつの答えがあり得る。

そのふたつとは、情報の定義の仕方の問題に帰結するふたつであろう。

情報を、時間を越えて遺していけるものとするなら

自己複製できる時点でそれは情報足りえる。

しかし、情報が何らかの意味を持たなければならないとすれば

ただ自己複製するだけでは情報足り得ないし、

逆に言えば、情報自体には自己複製能など持たなくても済む。

 

自己と同じものを作りそれが伝達されるという概念を

自己複製という現象(言葉)自体が潜在的に持ちうるということであり、

普通はDNA単独で自己複製できるわけはなく、

そのための装置を作る情報をそのDNA自体が持たなくては自己複製できないということだろう。

だから、情報を文字通り「なんらかに翻訳されうる情報」とするならば

DNAの自己複製そのものを情報という概念に置くわけにはいかない。

 

さて、ではこの考え方が正しいのだろうか?

正しいか否かはわたしが軽々に判断するべきことではなかろう。

ただ、ここで情報に翻訳されうるものという前提をつけると

話は分かりにくくなるように感じる。

だから、情報の原点は自分と同じものを後世に遺し続けられるとする方がはっきりしそうだ。