ゲノム論をまとめる
ゲノム論をまとめるために始めたブログも、
何もまとまらないままに時間だけが過ぎています。
で、ゲノムの定義と言っては言い過ぎでしょうが
ゲノムとはどう考えるべきものかについて橋本の考えを少しまとめておきます。
とは言うものの、今まで通りの話であって目新しいものは何もありません。
まず第一にゲノムとは自己複製するものであるということです。
まあこれは大前提としてそうであるべきであるもので、
これ以上何かを議論する類いのものではありません。
次に、ゲノムとは遺伝子の集合体ではあるでしょうが、
個々の遺伝子が意味を持って何かを行なうという意味での統合体ではない。
個々の遺伝子の意味はその他の遺伝子との関係性においてのみ意味付けされるものであり、
その関係性は時間的・空間的に関連付けられると同時に、
その関連とは物理的な意味での直接性は必要ではないということ。
すなわち、ある遺伝子の機能が生きもの自体に何か影響を及ぼすとした時、
すなわちその影響が生きもの全体を介して
その遺伝子の働きとは直接的にはまったく関係しない現象に影響するときに、
その現象に関わる遺伝子はその前の遺伝子と関係性が成立するわけです。
これはたとえばキリンの首を伸ばす遺伝子の変異があったとして、
首が伸びれば血圧を上げる必要性が生物個体には生じることから、
心臓の形成に関わる遺伝子にも変異が起こらなければ
生きものとしてその変異は残り得ないということです。
これは空間的な関係性という意味です。
時間的にはもっと理解しやすいでしょう。
ある遺伝子が発生の初期に働いたとして、
その影響をかなり後期に受けることはあり得ます。
このような意味での遺伝子同士の関係性を時間軸を含む体系として理解することが
ゲノムを理解するためには重要であろうということです。
さらに考えると、ゲノムに時間軸を与える必要があります。
それはまさに生命の営みという理解であり、
とりもなおさず「細胞」が担う生命活動においてゲノムに時間軸が与えられるわけです。
ここで言う「ゲノム」とはこの話の本題である「ゲノム」とは意味が異なります。
すなわち、ここで言うゲノムとはゲノムの持つひとつの側面に過ぎないわけで、
それは情報という言葉に書き換えられうるものでしょう。
個体発生の文脈では、ゲノムという言葉は「設計図」のような意味合いで使われることが多い。
すなわち卵に存在する種々の遺伝子産物がゲノムという設計図から
情報を時間軸と空間軸にそって情報を取り出し生きもののかたちを作るということです。
この切り取り方は、この議論の中に閉じる限りそれで構わないと思います。
ただ、問題は卵を作るのもゲノムであるということであり、
だからこそ、ゲノムには三次元の情報が書かれていることとなるでしょう。
この辺りはむかしの「構造主義生物学者」がDNAと細胞を分けて考えたのと明確に異なります。
また、これは全面的にゲノムに帰することが可能かどうか分からないのですが、
時間情報もゲノムに書かれていると考えても大きな意味では構わないように感じます。
ただ、ここをどう考えるのかによってゲノムの認識は大きく変わることでしょう。
さて、ゲノムは個体発生においては正確さを要求されますし、
その正確さこそが淘汰圧によって担保されているものです。
そこで淘汰圧を考えに入れる必要があるわけです。
この「淘汰圧」には大きくわけてもふたつの種類?があります。
種類というのか、レベルというのか、それとも規格というのか分かりませんが。
ひとつは一般に自然淘汰として知られていることであり
もうひとつは個人的に「内部淘汰」と呼んでいるものです。
と、これを書き始めるとまた長くなるので日を改めてにしましょう。