環境ホルモン
以前に環境ホルモンの調査をしている研究の話を聞いた。
たとえばアフリカツメガエルのように、
世界中で同様に用いることができる「モデル動物」でのバイオアッセイ方法確立の話だ。
むかしに工場か軍事施設などがあった場所できわめて高頻度に見られるカエルの奇形の調査で、
カエルを持ち帰り、その子を見ることで奇形の遺伝性について論じている内容があった。
この調査の結論としては、外部で確保してきたカエルを実験室内で掛け合わせてできた子孫は
これまた奇形であったということからこの奇形には「遺伝性がある」と結論付けたのである。
これはこの最近この欄でずっと論じていることの裏返しではあるがまったく同じ議論であるが、
この結論は科学的におかしい。
少なくとも孫の代まで交雑実験をしなければ遺伝性の有無なんて議論できっこない。
というのは、遺伝性というからにはその環境下でゲノムに傷がついていなければならないからである。
そして、環境破壊を引き起こす物質で高頻度にゲノムを傷付けるものは
放射線と発がん物質などであろうが、
それにしても発ガン性の試験をしなければなんとも言えないものだろうし
おそらくは明確な結果は出てこないのではなかろうか。
古い人ならご存知のサリドマイドという薬は、妊娠初期に服用すると前肢の発生異常が起こる。
しかし、この患者さんは立派に「正常な」お子さんを生んだと報道されている。
蛇足だが、ここで「正常な」と書いた自分自身に恥ずべきものがある。
この文脈ではこう書かざるを得ないのであるのだが、
それでもやはり強烈な抵抗を覚えてしまう。
話はそれるが、我々のゲノムはどの個人をとってもまったく同じ人はいない。
必ず,過去に受けたいくつもの突然変異を受け継いでいるし、
確率的に考えて、いま現在も様々な変異が導入され続けているだろう。
その変異がたまたま外から見えるところに生じたら「異常」であり、
見えないところに、あるいは表現されないところに生じたら「正常」だという考え方が
差別意識を生むひとつの大きな元凶だろうと思うからだ。
我々は一人一人が、言わば変異体なのである。
それが多様性ということである。
生物は、個体一つ一つに至るまで多様である。
その多様性を認めよう。
この考えからも「モデル生物」という考え方には徹底的に嫌悪感を覚える。
要するに、生まれた子供の奇形に対しての影響は
おそらくだが子供のゲノムの影響よりも、
そのゲノムに時空間情報を与える卵の影響が相対的に考えてもかなりキツいと思うのだ。
だから、上記奇形ガエルに関してもその環境から生育場所を実験室に移し、
そこで有害物質などをすべて排除した状態で生育させなければならないのはその通りだが、
その場合にも、♀ガエルのお腹にある卵は有害環境の影響下で形成されていた可能性を捨てられない。
だから、子ガエルの発生にもこの卵形成異常が強く影響する可能性があると感じるのである。
もちろんこれにはいくつもの異論がつけられるだろう。
たとえば手足の発生段階での奇形や変態段階での奇形など、
発生の比較的後期の奇形は、その発生が行なわれているときの薬剤の影響が大きく、
その原因を卵に帰するというのは無理があるという感じのものだ。
これはまったく否定はしない。
ただ、同様に卵から正常な遺伝子発現の制御がなされなかった結果として
後期発生過程に置いてその結果が顕著に表れたとも言えるのだ。
で、何を言いたいのかだが、結局は遺伝性の検定を子供の世代で終わらせたということ。
もし、正常環境下で育った奇形ガエルの子供も正常環境下で育てて、
その子孫が異常ならば「遺伝する」と言っても問題はないと思う。
ただし、この「遺伝する」はゲノムに変異が入っているということとは違う。
結局は発生過程でゲノムに時空間軸を与える卵や細胞に恒常的な変異が入り、
その環境下ではゲノムが本来の働きをし得ないという可能性が残るからである。
この「恒常的な変異」というのは特定の何かを指す感覚ではなく、
むしろ、たとえば血圧や血糖値などが年齢や生活習慣などが原因で上がり始め、
なんとなく悪い循環に入ることがあると思うが、
まあそういうことであろうと想像はしている。
だから、もしゲノムの変異の有無を見ようとするなら核移植が有効だろう。
全くもって正常な卵に奇形カエルの細胞核を移植してその結果を見るってことだ。
いろいろと書いてきたが、
この数週間に渡って書き続けているゲノムに関する考え方からすれば、
ゲノムは、卵という新しい環境の中で時空間を与えられ発生が始まった瞬間から、
環境(基本的には細胞内環境)からお淘汰圧を受け続けている。
この細胞内環境は、もちろん細胞外からのシグナルによっても影響を受けるし、
それが環境ホルモンなど、細胞内環境に影響を及ぼす物質を対外から受ければ、
それによる新しい環境にも適応できるのかどうか試される。
もちろんゲノムはそれに適応できなければ発生は止まりそのゲノムは消滅するだろう。
これが環境変化に対するゲノムの行動なんだろう思う。
その際に、ゲノムが新しい環境下に適応して生存可能な生きものを作ったとした場合に、
それが奇形であったとしても何も驚くべきではないし、
それが、その自然環境下が続く限り同じ細胞内環境にさらされるとしたら
ゲノム自身に変化がなくても形態の変異は生じうるし、
これが個体群の隔離に繋がった結果として種分化が起こったって構わないだろう。
ドーキンスではないが、ゲノムを主語に発生を語れば進化を違った視点で見せてくれるようだ。