おまけで・かたちか情報か?

「多重の拘束が一挙に同時に出現」するのであれば、既に もし、時間差があると、「他の代謝経路を止めること」とはならず、「かたちの共通さを保存する」必然性は薄まるからです。クエン酸回路の構成要素が二重三重の経路や回路に重複して用いられた」 」ということは、逆に考えれば、クエン酸回路のように原始的な生き物から変化していないかたちには「クエン酸回路が最初に機能したその時点で、 「多重の拘束が、かたちの共通さを保存する」、と私は読みました。このように読んだとき、「多重の拘束」は一挙に同時に出現する必要があるように思います。でも、そんなに偶然が重なるものなのでしょうか?不思議です。

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上記は、いまいさんからのコメントです。これを受けて少し考えてみましょう。

私の作文能力ではみなさんを混乱させてしまうと思いますが、

たとえば、すべての代謝経路が独立してまったく別物として

細胞誕生の時に成立していたと考えても構わないでしょう。

エネルギー(ATP)を作るという目的を満足させるためにいろんな代謝経路があったって

理屈(想像)の上ではまったく構わないということです。

それら経路や回路の構成要素(化合物や酵素など)は、

現在のクエン酸回路のように他の代謝産物などからがんじがらめの拘束を受けていないとすれば、

その経路の意味を満足させる限りにおいて変異は比較的容易に入りうると考えられます。

電子伝達系に電子を渡すということさえ満たせばクエン酸もイソクエン酸も使わなくても良いってことです。

そしてそのような変異の結果として、

仮に異なる代謝経路の構成要素と同じものを用いることとなったときに初めて、

その両経路共通の構成要素に拘束が二重にかかることとなり結果として変異を受けにくくなる。

変異はランダムに生じてもある変異を受けたものは

それ以上の変異を受けづらくなるわけで、

こう考えたら、出だしはバラバラであっても理屈上は構わないとなるように感じます。

だから、「「多重の拘束」は一挙に同時に出現する必要」は

必ずしもないと考えても構わないように思います。

ただし、一旦がんじがらめの拘束を受けたかたちが変化するためには、

それこそ変異が一挙に同時に出現する必要があると思います。

だから、結果的には変われないということ。

これは、生きもののかたちの変化の受けやすさにも絡んでくる話でしょう。

クエン酸回路などは拘束が重複して何重にもかかっているのに対し、

たとえば鳥のくちばしとかのように多様な形を見いだせるものにかかる拘束は

(結果論として)かなり緩いと考えても構わないでしょう。

この厳しさや緩さが分類群の階層に関わるのは間違いないと思います。

だから、遺伝子の発現に関わる転写因子などは、

時空間を越えて様々な生命現象に影響していますから、

それに変異が入った場合おそらくは致命的なことが起こるということで

結果としてそのような変異は残り得ない

(たとえば認識配列が変化し結合するプロモータが変われば、

その転写因子の働く細胞ではまったく異なる遺伝子の発現が起こるようになる。

それが一つの遺伝子の発現であればまあ何とかなるかも知れませんが、

時空間を越えてさまざまな遺伝子の発現に影響したら、

おそらくその生きものは生存できないってことです)。

私はこの説明をするのにキリンの首の話をします

(たとえばhttps://hashimochi.com/archives/580)。

結局のところ、拘束が何重にかかっているのかによって変異のしやすさが異なるということで、

それが分類群の大きさ(など)と密接に絡むのでしょうね。

新種は生じやすいでしょうが新しい門が生じるってことはとても信じ難いって話です。

いくらキリンの誕生を説明したとしても、

生命の歴史上おそらくキリンの進化はただの一度だけの現象であり、

それこそたまたま奇跡的な偶然が起こったからに過ぎないということでしょう。