普通の人に話す

私が勤務している「生命誌研究館」というところは、
大学で勤めていた時と同様に
研究をし論文を書くのが主な仕事ですが、
ここならではの仕事もあります。
それは、研究とは無縁の方達にお話しする事です。
研究館でレクチャーをする事もありますし
依頼を受けて高校などでお話しする事もあります。

正直に申し上げて、
私の仕事自体はそれほど難しい事はありません。
研究の論理展開は明快であり
おそらく中学生なら理解してもらえると思います。
逆に言うと、それくらい明確な論理が立たない研究は
研究としても大した事はないと思っています。

だから、そういう事を話せば良いと思うのですが
私は自分の講演の時に研究の話をほとんどしません。
理由は、日常の生活では絶対に出てこない言葉を知らなければ
どんなに単純な話でも理解していただけないからです。

遺伝子という言葉は、おそらく研究者が話す意味と
一般の方の理解とはまったく異なっていると思います。
ゲノムも同様に人によって理解は異なるし、
アミノ酸やタンパク質と言っても
栄養素の一つとしか理解されていない時がほとんどです。
アミノ酸なんか塩酸や酢酸と同じ「酸」だと思われたりしています。

この基本的な水準の理解ができていない人たちに
転写因子や分泌因子と話しても絶対にご理解いただけない。
だから研究の話をしないようになってしまうのです。

では何を話すのか・・・。
本当に特殊な単語を使わなくて済む話もないではないですが、
私は科学哲学の話をする事が多いのです。
「かたちってなんですか?」とか
「理解するってどういう事ですか?」とか
「人がいないところで巨木が倒れた時に音は出ますか?」とか
誰にでも理解できる日本語で、
しかし、まじめにそんな事を考えた事がない話をして
脳みそに汗をかいてもらいます。

生命誌研究館の研究員の話を聞きに来たら
生物の話などは一切なくって
狐につままれたように帰られる方もたくさんいらっしゃいますし、
それを不満に感じる方もいらっしゃるようですが
一部には結構受けもよくって
「本を出版されていないのですか?」などと聞かれたりもします。

本当はもう少し生物の話をしたいのですが難しいですね。