ゲノムと言語(3)

さて、言語というものを考えてみると、

フランス語とか英語とかあるいは日本語とかというものは、

あくまでも表面的なものであり、

言語体系という「モノ」を具現化した何かであるとも考えられる。

要は、言語というのはその根底に、言語の違いを越えた共通性が存在するという考えだ。

こう考えると、ゲノムのDNAなどはその根底の規則であって、

そこに共通性が存在するのは当然であろうとも思える。

そして、ゲノムの顕著な違いとして具現化しているもの(分類群)は、

実は様々な言語や種々の方言として成立しているものに質的に等しいのではないかということだ。

こう考えると、ソシュールの構造論的考え方にゲノムの本質が見えてくるようにも思えるし、

チョムスキーの言語(獲得)能力がゲノムに書かれているとする考え方から

ゲノムとDNAの関係性を「言語学的」に考察しうる何かになるのかもしれない。

またチョムスキーがでてきやがった。

やなヤツだ。