おかげさま

おかげさまって言葉が好きだ。

何気なく普通に使われてきた言葉だ。

少なくとも私の子供のころは。

 

でも現在は「おかげさまで」と言おうものなら

「お前の世話などしていない!」などと言われそうだ。

それってひねくれ過ぎているだろうか?

 

先日の某新聞にハーバード大学のイチロー・カワチ教授の記事が載っていた。

社会疫学の第一人者ということで、

まあ疫学的に健康や寿命を考えてみようって人らしい。

疫学調査の考え方は「絶対に」重要である。

生きものに100対0はあり得ない。

何か隠れた原因があるかもしれないし、

それらが複合的に関わっているかもしれない。

こんなのは疫学調査するしか見いだす手だてはない。

 

その彼の意見に感じ入った。

本来の日本社会の見えないつながりの強さが健康や長寿を支えているかもしれないというのだ。

そして、もともと一億総中流社会だった日本も大きな格差社会となり、

それがストレスを産み出して人と人とのつながりを弱めている、

他人を信頼できなくなっている、

そしてそれが健康に重大な影響を及ぼすのだとすれば、

人とのつながりを守り上げていく社会を、

昔の美しい日本社会を作るための努力が必要なのかもしれない、

まあそんな話だった。

 

彼はそれ以上踏み込んだことを言わなかったが、

やはり西欧流の個人主義社会がもたらした

日本人特有の美徳の崩壊は日本社会に深刻な爪痕を刻み続けていると思う。

「おかげさま」という心をいま私たちが心から言えるのだろうか?

見えないところであらゆる人から世話になっているだろう、

それは人間同士に限らない。

自然からも他の生きものからも、そして食べているものからも恩恵を受け、

それらすべてに感謝をするって気持ちを持たなくなってきているように思う。

権利と義務しか議論の俎上に上がらない。

もう屁理屈であっても相手をまかせればそれが正しいとする考え方。

それが日本人をここまでにしたということなのかもしれない。