文献
最近、古典的な実験を考えている。そして研究の方向性を決めるために古い文献にあたっている。過去の偉人が行なったさまざまな結果を考察し、現在私たちが持っている結果と照らし合わせ、また、私たちが独自に考えているモデルの整合性を考慮するのである。この過程で、どうしても私たちの仮説に無理が出てくる。その際に考えられる可能性を列挙して、自分たちの仮説は完全に誤りなのか?軌道修正が出来るのか?あるいは過去のデータに解釈の誤りや実験そのものの誤りはないのか?について検討する。
私たちは、何十年も信じられて来た「原腸陥入」という現象が少なくともツメガエルでは起こらない事を5年前に示している。5年経った今でさえ、ツメガエルで陥入が起こっていると信じている研究者がたくさんいるように、「常識」は簡単には覆らないのだが、最近の最先端技術を駆使した研究で私たちの主張の正しさが証明されているので、少しずつゆっくりと受け入れられていくのだろう。この例でも分かるように先人のデータがすべて正しいとは決して言えない。データのねつ造は論外であるとしても、中立と信じられている実験結果自体も、潜在的に自分が考えている(望んでいる)方向へ無意識のうちに解釈してしまう傾向が人間にはある。だからこそ、その実験結果を異なる視点で見つめ直す事は非常に重要なのである。
しかし、ここで問題が生じる。それは、教科書には出ている有名(なはず)の実験の原報が探し出せないのである。したがって、その実験の詳細も、あるいは実験データすらも検討できない。その可能性としてはいくつか考えられる。一つは文献自体が古すぎて、そこにたどり着けないという事である。もう一つは、原著論文を読んだ研究者が何かに深く感銘を受け、そこから時間とともに間違った思い込みとして頭の中に出来上がって来た事実を教科書に記載したという事である。これは実際に何度も経験する事である。論文を読んでも隅から隅まで正確に覚えている人などいないと思う。しかし本人には、読んだ論文の印象はしっかりと残っている気になっている。そしてその知識をもとにディスカッションをしていると間違いを指摘されるが、こちらも間違っているのは相手の方だとばかりにいきり立って原著にあたる。そして、恥をかく。
だから、この事自体を責めるつもりはない。ただ、実際に実験の検討が出来ないのは事実なので困るのである。解決方法は・・・実際に自分で同じ実験をしてみるしかなさそうだ。歴史のある学問は面白いが難しい。