新しいことばを覚えるということとは

例えばソシュールのいう「共時態」の意味を知ろうとする。

その時に普通は共時態の意味を辞書的に説明している文章を探す。

「共時態とは○○のことをいう」と言った感じだ。

そしてその時にはなんか分かったような気になってしまう。

しかし、では共時態が指すものを理解したかと言えば

それはそうではないだろう。

これは共時態という言葉に限るものではない。

まったく新しいことばの意味を知ろうとする時に、

それを辞書で引いても理解はできない。

その理由は単純で、意味とは相対的なものであり、

ア・プリオリに存在するものではないからである。

 

では、どうやればその意味を覚えられるのだろうか?

それは、その新しい単語が使われている文章をできる限りたくさん読むこと。

その単語がおかれている文章によってその意味が決められているのであるから、

文章全体からその単語に意味付けする他はない。

だから、単語カードでは覚えられないと私は言うのである。

 

私は論文を執筆する時には必ずたくさんの辞書を並べると以前に書いた。

何となくいいたいことに近い日本語から英語を探し、

その英語を英和辞典や英英辞典で引き実際の文章での使われ方を知ることで、

言いたい雰囲気にもっとも近い文章を探すのである。

ことばの学習に限らず、何か新しいことを覚えるってのは本来が相対的であるはずであり、

最も相応しい方法論はそのあたらしいことを含む周囲の事象をまとめて理解することだろう。

 

昨日飲みながら、「共時態ってどう説明したらいいのかな?」って考えていて

ふとこのようなコラムになりました。