教科書が変わる?

先日、変な愚痴?を書いた

https://hashimochi.com/archives/4849

https://hashimochi.com/archives/4856

それほど深刻な愚痴のつもりもなかったのだが、

でもお読みくださった方にはそう感じさせる文章だったとは思う。

 

で、コラムとは直接は関係ないのだが、

教科書執筆者・高校教諭・出版編集者の方々に

ツメガエルの原腸形成過程で中胚葉が頭部へとさかのぼらない根拠について

実験の意味とその解釈をお話しすることとなった。

集まりは3月末にも行なわれるということだ。

 

この欄にはよく書いているのだが、

ツメガエルでさかのぼりが行なわれないということから、

あらたな動きが見えてくる。

さらには、さかのぼるイモリの原腸形成と比較するだけで、

ツメガエルの動きが今まで言われていたのとは別のように思えてくる。

この「夢想する」過程が楽しいし、

個人的にはこれが科学の醍醐味(のひとつ)だろうと思っている。

もちろん、夢想したことは実験によって検証されなくてはならないのだから、

ただただ想像を逞しくするだけでは研究者としては意味がないのだろうが、

でも若い人にはこの段階で楽しむことを知って欲しいと思う。

義務のような科学研究もあるに違いないしそれを否定などしない。

しかし、あくまでも個人的嗜好ではあるが、

研究には個人的な楽しみがなくてはならないと思っている。

 

冷静に考えて、両生類の原腸陥入が起こらないというのは、

高校生物の教科書に載せられる内容だとは思わない。

イモリは陥入し、ツメガエルは陥入しないなんて、

ことがややこしくなるだけで意味はないだろう。

ただ、ではツメガエルの写真を載せられて「陥入する」と解説されたら、

私としては大いに問題視せざるを得ないだろう。

だから、「写真はイモリを使って欲しいなあ」くらいの希望は持っている。

 

で、それ以上に何ができるかだが、

何もできなくて構わないのは上述の通り。

しかし、でも副教材あたりで何か面白い提案ができないものだろうかと、

なんとなく思い描いているのは事実である。

 

ちょっとここで極めて不遜ながら大風呂敷を広げさせて頂く。

「日本では、国内の成果を過小評価する」とは谷口維紹の言葉である。

鈴木梅太郎がオリザニンの発見の時にどういう評価を受けたのか知らないのだが、

日本での評価というのは、谷口の言うように海外の評価に準ずることは多いだろう。

オリザニンだって、海外でビタミンB1の発見が注目されなければ

国内で騒がれることもなかったのかもしれない。

 

で、たとえばもう割り切って「ツメガエルは陥入しない!!」と

高校で教えてしまったらいかがだろうかとは思う。

これが科学的に不確かなことであり、

世論を二分するなら危険極まりないことだろうが、

ツメガエルでは絶対に陥入しないのだから、

それを日本の教科書から、日本初の常識として変えてやる!

くらいの意気込みって見せられないものだろうかと、

我田引水・手前味噌・・・で思ったりはする。

 

まあ、これを言い出したら他にも同様のことはあろうから、

日本の教科書は奇を衒った不可思議なものへと変わるだろう

(でも、そういう教科書は読んでみたいと思うし、

そういう怪しさも科学の魅力の一つではないかな?)。

だから、無理は承知での血迷いごとである。

でも、科学の世界ではこういうことって頻繁に起こっているだろう。

誰もが納得する(感情的に否定するのはなしで)結果なら、

世界の動静なんて気にせずにやっちゃえばいいのにって思う。

メンデルが生きているうちに、世界中から笑われても、

オーストリア(ドイツ?)では国を挙げて認めていたら

何かが変わっていたような気がするのは穿ち過ぎだろうか??