「ツメガエルも原腸陥入するよ」
タイトルは偉い先生のお言葉です。
原腸陥入という言葉が誤解を与えますよね。
まず、原腸陥入はツメガエルも行ないます。
ただ、「陥入」という言葉が指し示すような
中胚葉の、頭部方向へのさかのぼりがないということです。
先日、高校の教科書を執筆される先生とお話しをしていました。
すると、教科書の監修をしている大学の先生に橋本の説を話したら
「ツメガエルでも原腸はさかのぼるよ」と言われ、
「橋本は変わっているから」とはなされたそうです。
実はこれに近いことはもう嫌というほど経験しています。
私は、できるだけ適切であると思える実験を考え、
正確にその実験を遂行した上で、
その結果を解釈して「さかのぼらない」と言っています。
私の話をお聞きくださった方にはご理解いただけるでしょうが、
私の実験は極めてシンプルなものばかりです。
中学校の理科室でもできる実験がたくさんあります。
だからデータの解釈自体も、ある意味では一目瞭然です。
でも、一つの方向からの実験だけでは反論も出てくるだろうからと考え、
考えられるあらゆる角度からの実験を行ない、
互いの結果が一つの方向を指し示すことを明らかにしました。
しかし、主に偉い先生なのですが、
私の実験方法や結果の解釈にはいっさい触れることなく、
「さかのぼりはあるよ」と涼しい顔をおっしゃるのです。
一番びっくりした経験は、
私の実験結果をすべてお話ししたあとに、
「でも、ツメガエルはさかのぼっているけど、それはどう説明するの?」でした。
えっ、いままで何をお聞きだったのですか?????って目が点になりました。
結局、彼らの頭には「だって、さかのぼるんだよ」ってのが常識というよりも、
当然の、曲げることのできない事実として存在しているから、
その事実を元に私の実験を解釈してしまう。
で、実験の解釈が、彼らの事実を矛盾してしまったら、
実験がおかしいということに、当然の帰結としてなってしまう。
まあ、そういう思考の流れが頭の中にあるのでしょう。
私も科学者の端くれですから、
私の実験や結果の解釈に論理的反証があれば
それを受け入れる準備はいつもしているつもりです。
しかし、「さかのぼる」派の人たちはそれをしてくれません。
ただ、「あいつは変わっているから」と斜に構えた態度でいつづける。
偉い先生が、橋本を小馬鹿にしたような物言いをしたら、
若い人や、専門ではない人たちはそちらを信じます。
橋本の主張が、超能力と同じレベルの似非科学のように見られます。
なんか、クヤシイを通り越してどうでも良いって気持ちになります。
ただ、研究者として残念なのは、
ツメガエルの原腸形成期に中胚葉のさかのぼりはありませんから、
それを前提に研究をすると矛盾が多く生じます。
また、間違った解釈をしてしまうことにもなりかねません。
逆に言えば、「さかのぼらない」と考えることで、
多くの矛盾は解消されるし、
もっともっと分かり易い説明もできるはずです。
さらには、これまで見落としてきた新しいアイデアも出てくるでしょう。
この点が、すっきりと割り切れないところです。
これに絡めての予断ですが、
私たちは「さかのぼらない」として研究して結果を出しています。
しかし、さかのぼらない趣旨で論文を書けないのです。
投稿しても落とされる危険が残っているからです。
正しいことをしているのに、
あえて間違った方に近い主張を見かけ上しなければならない。
キツいなあとおもいますね。